『仮面ライダー鎧武』は本当に大好きな作品で、そのおかげで放送当時にアホほど録画を観返して毎週の放送に臨んでいたので記憶が鮮明すぎて、ここ数年間あえて復習鑑賞をしない・・・ といった謎のモードに入っていたんですね。
で、下の記事にも書いたように、鎧武の精神を受け継いだかのような『エグゼイド』という作品も出てきたり、ちょうどそのタイミングでAmazonプライムビデオで配信が開始されたりして、「よし、そろそろ復習いってみるか!」となった訳です。
これがまあ、やっぱり面白い。
ただ、放送当時と違うのは、今は手元に色んな「副教材」があるということ。
放送が終了してるからこその強みですね。
一番読んでいて楽しいのが、毎年恒例の公式読本。
仮面ライダー鎧武/ガイム 公式完全読本 (ホビージャパンMOOK 619)
- 作者: 東映株式会社,石森プロ
- 出版社/メーカー: ホビージャパン
- 発売日: 2014/12/13
- メディア: ムック
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放送当時に発売された「ザ・ガイド」も欠かせない。
もちろん、続編にあたる小説版も必読。
こちらのインタビュー集もオススメ。
タイトルに鎧武は無いけれど、かなり関わってくるのは、これ。
語ろう! 555・剣・響鬼 【永遠の平成仮面ライダーシリーズ】
- 作者: レッカ社
- 出版社/メーカー: カンゼン
- 発売日: 2015/01/09
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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あと、これもシリーズ総括という面で読み応えあり。
・・・といった感じで、これらの「副教材」を読みながら同時に本編を観ていくと、また違った「味」がしてとても面白い訳です。
単純に、後の客演映画まで含めた「あとの展開」を知っているからこその楽しさは、言うまでもなくて。
そんなこんなで、取りあえず初瀬が死亡するまでの(約)1クールを観終えたので、そこまでの感想を脈絡なく書いておこうかと。
企画の立ち上げに関するインタビューやらを読むと、やはり武部プロデューサーの指示がかなり細かいところまであったのだな、というのを感じる。
「多人数もの」「1期の頃の雰囲気を」「個別武器を使った乱戦」等々、プロデューサーからの「これがやりたい!!」が、結構明確に(強めに)打ち出された結果の企画進行だったとのこと。
改めてOP映像を観ると、タイトルが出るシーンで各ライダーの武器が画面内で火花を散らす一瞬のシークエンスがあったりで、「個別武器を使って戦う」はかなり重要視されていたのかもなあ、と。
玩具発売当時は、バナスピアーやブドウ龍砲にロックシード認識機能が無くて、正気か?売れるのか?・・・という勘繰りもしていたが、各々の武器を使って戦闘スタイルを差別化する意図が企画の根幹にあったとすると、あえて認識機能を捨てて武器の個性化に特化したのも頷ける。
後に出るソニックアローはロックシードの認識機能があったけれど、それはそれで「上位互換の武装」っぽさがあって、良い差別化にもなったのかな、などと思ったり。
そういう意味でいくと、劇中の戦極ドライバーって、試作品扱いでもあるんですよね。
ユグドラシル的には、一種のローテクノロジーな代物。
ゲネシスドライバー開発のためのテスト用として作られ、街で踊ってるだけの若者らに流通させて、そのデータを収集していた。
だから、最後まで鎧武や龍玄がその戦極ドライバーを使って戦っていくのは、やっぱり「良い」んですよね。
最新型を用いる敵に試作型のこちら側が挑むという構図は、やっぱり「燃える」んですよ。
もちろん、鎧武はサガラの力でチートパワーアップを繰り返していくんですけど、その根幹のシステムはユグドラシル側がテスト用だと割り切っていた戦極ドライバー、というのが良い。
武器の話に戻ると、撮影用のソニックアローを全部で4台作った、という、公式読本での石垣アクション監督のインタビューが興味深かった。
最初に上がってきたものは実際に弓を引く動作が出来ないやつで、「これはダメだ」ということで作り直してもらって、そうして結果的に4台が出来上がった、と。
で、あの衝撃の登場となったゲネシス4人組のシーンで、その4つが一気に撮影に用いられたとのこと。
こういう裏話は本当に面白いですよね。
改めて初期のビートライダーズ編を観ていると、面白いながらも、様々な四苦八苦も感じられて面白い。
木の上から降りられなくなった子供に対して戒斗が厳しい言葉を投げかけるシーンは、最初は子供じゃなくて猫だったんだけど、田崎監督が「動物のこういう撮影は厳しい」と意見して変わったとか、ヘルヘイムは年中生い茂ってるイメージで書かれていたけど冬は当然枯れてしまうのでVFXのエフェクトを強めにした、とか・・・。
そういった「虚淵脚本がアニメのニュアンスで指定してくるあれこれを実写でいかに出力するか」という点について、特にシリーズ初期の頃はかなり試行錯誤の色が出ていたように感じる。
公式読本とかを読んでも、虚淵氏への恨み節とも取れてしまうような証言が沢山出てきたりして、スタッフの皆さんも戸惑いと挑戦の連続だったんだろうなあ、というあたりは想像に難くない。
4話で鎧武が斬月にボッコボコにされるシーンも、「かといって悲惨すぎる負けシーンは映像的に厳しいから、せめて川に落とそう」となったものの、「ヘルヘイムに川があるのは(設定的に)良いのだろうか?」という確認作業から始まったらしく、その膨大な作業量を思うと思わず溜息が漏れてくる。
しかしまあ、「ロックシードを奪い合う遊びが流行っている」ことの映像化として、「インベスゲームで負けた側のロックシードが勝手に勝者の手に飛んでいく」というのは、まあ、改めて観てもギリギリというか、ちょっと笑ってしまうところではある。
一体あれは本当にどういう理屈なんだ・・・。ビピョーン!! っていうあの独特のSEもあってクセになってしまうのだけど。
何度もブログでも書いているけど、やはり鎧武は5話だと思うんですよ。
「鎧武とバロンが主義主張を違えて戦う」「龍玄が鎧武の背中を見て戦う」というシリーズクライマックスで描かれた名シーンの数々が、状況は違えど、この5話で描かれている訳であって。
だから、ユグドラシル側の「大人たち」が嗤って馬鹿にするような子供たちの遊びでも、彼らとしては真剣そのものだという、その構図そのものが「俺たちはまだ知らなかった・・・」という1クール終盤に向けた壮大な皮肉にもなってるんですよね。
彼らがダンスチームの陣取り合戦に真剣になればなるほど、「何も知らない馬鹿なガキ共」といったニュアンスが強調される構図。
久々に鎧武の公式読本を読み返していたら、「鎧武の作品的な魅力とは?」の質問に諸田監督が「こだわりきれない若者がこだわらざるを得ないという世界観」と答えられていて、思わず膝を打った。まさにその通りというか、「こだわることを無理やり求められた者たち」のドラマでもあったなあ、と。
— 結騎 了 (@slinky_dog_s11) 2017年10月18日
この諸田監督の一言が本当に絶妙で、ダンスチーム抗争という彼らなりの「真剣な遊び」が、いつの間にか「種族の命運をかけた戦い」にスライドしていく中で、彼らはとにかく「こだわる」ことを強制されていくんですよね。
何度も、ユグドラシル側の「大人たち」から「現実を知らない」だの「甘すぎる」だのと言われながら、でもそれに反抗し、時に戸惑い、本来ならもっとゆるやかに経験していくはずの「大人への階段」を無理やり超スピードで登らされた若者たち。
いつの間にか「大人たち」も倒れ、最後の最後には「ガキ共」に種族の命運が託されていく。
そう考えると、どこか大人ぶって悟っていた大人たちは、漏れなく死んでいたりする。シドとか、プロフェッサーとか。
ユグドラシル側で生き残ったのは、大人の立場にありながらも理想を全うする信念だけは子供のように真正直だった貴虎だけ、というのも、とても皮肉な話だ。
そんな貴虎は序盤スカしてばかりで、あの後部座席でシドのファイルをちゃんと見てさえいれば話は全然違ったのにな、などといった変な笑いも漏れてくる。
あと、ゲネシス4人組の、特にシドとプロフェッサーが貴虎に対する信用をすでにかなり落としているのも、改めて観ると気付く点が多い。
初めて観たあの頃はどこか「それっぽい言葉を使ってかっこつけて暗躍する敵幹部たち~~」という印象が強かったが、改めて注意して観てみると、言葉の端々から貴虎が貶されまくっているのが分かる。もはや可哀そうなくらい。
この辺、外伝デュークを後に観ているのも強いのかもしれない。
ビートライダーズの面々でいくと、ザックとペコのクソザコっぷりが凄すぎて驚く。
ザック、外伝の頃のお前がこの頃のズルしてニヤニヤしてた自分を観たら、凄い勢いでぶん殴りそうだぞ・・・。
戒斗が不自然すぎる手のアップでトランプ芸を披露するのも中々に面白い。
ブラーボに関しては、変身前に比べて変身後の方が腕が細いのが、気になって気になって仕方なくなってしまった・・・。
ピエールのお姉キャラをスーツアクターさんが汲んでいるのも分かるのだけど、ちょっと解釈にズレがあるのかな?という気がしなくもない。
「お姉キャラ」と「女子っぽい」は似て非なるよね、という話。
あと、クリスマスゲームの時の拠点に潜り込むくだりや、ミッチがユグドラシル本社に忍び込むシーンなど、ユグドラシルの警備があまりにもザルすぎてやばい。
「忍び込む」って、やっぱり実写ドラマでやるとハードル上がるんですよね。敵がちょっとアホに観えちゃうから。
とはいえ、その流れで「裕也がすでにインベスとなって鎧武に殺されていた」ことが判明するシーンは、本当に素晴らしい。何度観ても鳥肌が立つ。
それと同時進行で鎧武がインベス化した初瀬と戦っていて、「殺すなんてできない」と膝をついて嘆くと同時に、「残念!すでにお前の手は真っ赤だぞ~~!やーい!」という感じで裕也の真実が明かされる。
ミッチが驚いて崩れ落ちる演出も絶望感を煽るし、鎧武がうなだれる場所が水辺というのもロケーションが最高だ。
そこからの、謎の4人組の変身、無残に殺される初瀬、という怒涛の展開は、観る度に喉がカラカラになる。
結局、第1クールのお話って、割とこのシーンありきで作られている感じがするんですよね。
初瀬が死んだ理由は、もちろんインベスになってしまったからだけど、その原因はドライバーが壊れて強さを渇望したからで、ドライバーが壊れたのはビートライダーズ同士が争っていたからで、そのゲームを提案したのはチーム鎧武だったり、元々戦いを激化させていたのはチームバロンだったり・・・。
つまり、遠因まで辿っていくと、登場人物の多くが「初瀬死亡」に関与してしまっているんですよね。
この、「何も知らなかった若者たちの遊びが死者を出してしまった」という、全員悪くて全員悪くない、つまり一種の「事故」のように描かれているのが、上手いなあ、と思うのだ。
そんな事故が起きてしまったからこそ、「ガキ共」は「こだわる」ことを否が応でも求められていく。
この一連の流れをリアルタイムで体感できたのは、今思い返しても幸せだったなあ、と。
また2クール目を観終わったあたりで感想を書くかもしれませんが、取りあえずこんなところで・・・。
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