『仮面ライダージオウ』第31話は、杉原監督&毛利脚本によるアギト編前編。杉原輝昭監督は、ライダー・戦隊の双方の現場で助監督をされてきた方で、戦隊の方での監督デビューを経て、今回の31話が満を持してのライダー初監督回。直近では、『快盗戦隊ルパンレンジャーVS警察戦隊パトレンジャー』でパイロット監督を務められ、最多の16本を監督。ダブルレッドの旨味が炸裂した29話「ふたりは旅行中」や、デストラを撃破したあの42話「決戦の時」等を担当されています。
本日オンエアの仮面ライダージオウ・アギト編で監督をさせていただきました。監督としては仮面ライダー初参加という事で気合入れて撮ってます。ぜひご覧ください。https://t.co/k2gmsYq34q
— 杉原輝昭 (@terusnet) April 13, 2019
杉原監督の画作りの印象としては、端的に、「フレッシュ」だなあ、と。『ルパパト』でもそうでしたが、該当シリーズでは珍しい、新鮮なカットを魅せてくれる印象があります。それは何も、例えば坂本監督のような縦横無尽なアクションや、上堀内監督のようなエモーショナルなドラマシーンといったものより、良い意味でもっとミクロなポイント。ちょっとしたCGの使い方だったり、中規模な長回しや横移動のアングルがスッと挿入されたり。アイデアを、巧い具合にさり気なく滑り込ませてくる方なのかなあ、と。
今回でいえば、序盤のG3の演習シーン。アナザーアギトによって飛ばされたG3がガラスにめり込む一連のくだりは、さり気なくもフレッシュな印象を受けました。なんかこう、テレビシリーズというより、劇場版の冒頭っぽい質感。G3が撃った薬莢を追うカメラだったり、ソウゴがPCで検索するシーンを画面の「こちら側」から捉えてみたり、ツクヨミのアクションも地形を上手く使て面白く観せたり。ひとつひとつが少しずつ「おっ!」という効果を生んでいるので、単純に、観ていてとても楽しいなあ、と。
そして久々の毛利脚本。年末の、オーマジオウと相対した回以来ですね。このまま最後まで、下山・毛利の二名体制でいくのだろうか。毛利脚本の魅力は、「原典のテーマをを絶妙に汲み取る」こと。すでにある作品の持ち味を生かすことに長けていらっしゃる印象で、だからこそ、今回のアギト編も良い感じにまとまっていました。
そんなこんなで毎度のように前置きが長くなりましたが、『仮面ライダージオウ』の感想を綴る「ZI-O signal」(ジオウシグナル)、今週もいってみましょう。
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アギトの世界のその後
まずもって、『仮面ライダーアギト』の話。これは、公式サイトの振り返りページの解説がびっくりするくらい綺麗にまとまっていたので、こちらをそのまま引用したい。『アギト』って、要はこういう話です、というやつ。
かつて存在した2人の神、光の力と闇の力。闇の力は〝人類〟という最高傑作の生命を誕生させ、ペットのように愛でていた。だが、光の力は人類を自由にすべきだと主張。やがて2人の神は戦いを始め、光の力は敗れた。だが、光の力は絶命寸前に人類の中にある種子を蒔き、それに覚醒して「アギト」となった者たちが闇の力を打倒するだろうと予言する。
そして幾星霜かの時が流れ、人類の中から超能力者=アギトとして覚醒した者たちが出現。長き眠りについていた闇の力も目覚めの時を迎え、使徒たる怪人「アンノウン」を使役し、アギトの絶滅を画策した。(中略)
人類の中からアギト=異端が生まれるということは、それに選ばれなかった者たちからの反発が生まれるのは必然。そんな絶望的未来も予想されるなか、アンノウンとの過酷な戦いを経た津上翔一は、アギトとしての宿命を受け入れて人の中で生きていくことを決意。
なんてスマートなあらすじ紹介なんだ・・・。こうやって、「神々の抗争」から話を始めると、『アギト』の概要って説明しやすいんですよね。本編はもちろん、ミステリー要素としてそこは逆順で明かされ、正体不明のアギトという存在を登場人物が追いかけ続けることで「神々の抗争」という壮大な舞台設定に行き着く、という流れ。
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この舞台設定における『アギト』の面白いポイントは、①超能力という事象へのアプローチ、②マクロな設定とミクロな群像劇、③「アギト」の概念化、の主に3つだと感じている。
①は、実際にもあるかもしれない「テレパシー」や「サイコキネシス」に、「彼らは光の力の種子を植え付けられた人間である」という説明を持ってきたところ。超能力者が実際にいるかどうかは、私も目の前で見たことはないので何とも言えないですが、そこらの都市伝説よりずっと確度の高いものという認識がありますよね。そういう意味で、この「光の力の種子」というトンデモな設定が、やけに身近に感じられるんですよ。テレビに出てくる超能力者が本物だとしたら、彼らは、もしかしたらアギトの因子を持つ者かもしれない。フィクションとリアルの境界線をちょっとだけボカすこの感じが、『アギト』の魅力だと思うのです。
②は文字通りで、「神々の抗争」という驚くほどにマクロな設定の上で、「翔一とその周囲の人間たちの居場所を巡る戦い」というミクロなやり取りが行われるところ。このスケールのギャップが良いんですよね。現実世界でも、例えば大人が数人声を上げたところで、経済の仕組みも、法も、国際情勢も、何も変えられない訳です。個人がやれる範囲なんて、たかが知れている。しかしだからこそ、我々は、目の前の生活を必死に守って立てていく、それこそが尊いし、その積み重ねと集合体がマクロな世界そのものなのである。
そんな現実のバランスを、フィクションの設定に落とし込む。「神々の抗争」という大きな設定は、そう簡単に覆るものではない。しかしだからこそ、翔一は、自身の記憶と生き方、身近な人々が笑って暮らせる居場所を守るために、奮闘するんですね。手が届く範囲での「ミクロな戦い」こそが、この上なく美しい。それは、最終回のラスト、みんなが笑ってご飯を食べられるレストラン「AGITΩ」が開かれていることにも繋がる訳です。人間の基本にある「生活」の美しさを説くバランスは、井上脚本の持ち味でもあるのかな、と。
そして③、アギトの概念化。これは主に終盤の展開を指していて、「アギト」が「光の力の種子を植え付けられた者」という設定上の意味合いから、「人を守る者」「人類を脅かす者」「呪われた運命を背負う者」「ある人にとっては憧れの対象」と、ドラマの展開に比例して様々な意味を持つようになるんですね。単なる光の種族の名前から、ある種の概念として膨らんでいく。だからこそ、『仮面ライダーアギト』というタイトルが加速度的に重くなっていくんですよ。「アギト」は何も翔一だけを指さない。だからこそ面白い。
・・・等々、もはや『ジオウ』の感想を書いていることを忘れそうなくらいにアギト語りをしてしまいましたが、今回のアギト編、そんな怒涛の戦いの「その後」として、非常にスムーズでした。
翔一が海外で料理の修行をしている、というアフターの置き方がまず良い。真魚ちゃんがお店を任されているのも良い。G3が襲われているニュースを知って、即決で日本に戻ってくる翔一も相変わらず。しかもそこで、本筋のG3周辺に駆けつけるのではなく、アンノウンを察知するように知覚を働かせ、襲われている見知らぬ人(ツクヨミ)の助けに入る、と。しかも、現在のG3ユニットは尾室さんが率いている、というじゃないか。
なんだこの、満点のような「アギトのその後」は・・・。何か所か、もう『ジオウ』を観ていることを忘れそうなくらい。意地悪に言ってしまえば、「オタクが考える最強のアギト続編」という感じ。オリジナルキャストより、この話運びそのものが極上のファンサービスになってますよね。
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あふれる『アギト』リスペクト
そんなこんなアギト編ですが、杉原監督の『アギト』リスペクトがとにかく素晴らしかったです。
例えば冒頭のG3演習シーン。これは言うまでもなく、『アギト』テレビシリーズ第1話序盤のセルフオマージュなんですよね。G3が鉄球を撃つこの演習は、もう本当にそのまんま。ロケーションもかなり寄せてきてますね。字幕が「未確認生命体対策班~」なのも実ににくい。
そして後半の、暗がりの向こうからベルトだけを光らせて歩いてくる翔一。これも同様に、第1話のアギト登場シーンに重ねた演出なんですよね。いやぁ、最高にかっこいい。ベルト待機音の使い方が1兆点。その後の、エフェクトではなく切り替えで変身するカットにも痺れました。そうそう、これが『アギト』なんだよ、と。転じて、所々に田崎監督リスペクトを感じるところ。
G3の設定面でのフォローも綺麗ですよね。テレビシリーズの最終回では、一年後を舞台に、すでに尾室さんがG5ユニットを指揮していた。そこから考えると、もうG17くらいまでいっているかもしれない。しかし、だからこそのG3。旧型の方が量産が可能で、全国配備を優先する判断、とのこと。上手く最終回のくだりまでもを拾ってきたなあ、と。
あと、忘れてはならないのが、音。SEの数々。G3の銃撃音や、メットが閉まる時の駆動音。アンノウンを察知した時の脳に響く音や、前述のベルト待機音。映像作品における「当時の効果音」って、一気に記憶を呼び戻してくれるから面白いよなあ。
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ツクヨミに重なるアギトのテーマ
そんな『アギト』風味たっぷりのバランスは、映像だけでなく、シナリオにも適用されてる。「記憶を失っている」「自分の名前も分からない」「自身の謎の力に怯える」という今回のツクヨミに与えられた要素は、そのまま、『アギト』における「光の力の種子を植え付けられた者たち」。あかつぎ号の出来事で人生を一変させられ、怯え、発狂し、アイデンティティを失っていく人々。そして、記憶を失い、半生も名前も分からなかったのは、他でもない主人公・津上翔一その人。
来週、おそらく悩めるツクヨミに翔一が接触することになると思いますが、過去の自分と同じ境遇に放り込まれた女性を、彼がどのようにフォローするのか。ツクヨミは、「過去」ではなく、「今」や「未来」を向くことができるのか。この辺り、実に丁寧に『アギト』をやっているので、好感が持てます。
『ジオウ』は相変わらず、過去作のテーマと現行の物語を融合させるのが上手い。ファイズやフォーゼで「男同士の友情」を、オーズで「王の素質」を、龍騎で「人間の清濁」を。こうやって過去作のテーマを抽出して再構成していく様子は、『ディケイド』と近いですね。
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トリニティとトリニティ
そんなこんなで、来週はトリニティとトリニティで6つの力が炸裂。アギトのトリニティは、今でこそ人気のフォームという印象ですが、テレビシリーズ本編では一度しか登場しなかったんですよね。レアというか、もはや幻のような姿という印象が強い。スーツアクターの高岩さんが、左右で得物が違うのでバランスの取り方が難しかったと語ったのは有名な話。
アギトの話ばかりしてしまいましたが、ジオウ組も大活躍でしたね。3人同時変身も良い感じ。変身時に後ろに出る模様をどう捉えるかで、各監督の個性が見られる。
あと、ツクヨミの過去は、どうなんでしょうねぇ。タイムジャッカーの関係かもしれないけど、そもそも、毎度書いているように、タイムジャッカーがどういう種族?で組織?なのか全く分からないという。時を止めるあの能力が、先天性のものなのかどうかも不明。ツクヨミはもしかしたら、オーマジオウの血縁者かもしれませんね。そっちの方が面白くなりそう。例えば、ソウゴの娘とか。勝気にソウゴを引っ張っていくあの感じは、ソウゴの奥さん、つまりツクヨミの母の性格を色濃く受け継いでいる、とか。
などなど、期待と妄想は広がりますが、次回、「2001: アンノウンなキオク」をお楽しみに。しかし『ジオウ』、第三クールに入って本筋な意味でレジェンドを扱い出したけれど、せっかく「過去の平成ライダーが地続きという設定」なのだから、ファイズ・フォーゼ編のような融合パターンをもっと観てみたいですね。水と油のような響鬼と電王を混ぜてみるとか。
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