ジゴワットレポート

映画とか、特撮とか、その時思ったこととか。

『仮面ライダー龍騎』という、あまりにも残酷で楽しい命の物語

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第33話

 

『仮面ライダー龍騎』が駆け抜けた2002年当時、私は中学生だった。

 

前年に起きたアメリカ同時多発テロ事件の記憶がまだ生々しい頃に、『龍騎』は放送が開始された。

『クウガ』の衝撃を小学生で体感した私は無事に特撮畑からの卒業タイミングを逃し、その辺りの長い棒を持ってはクルクルと回してドラゴンフォームごっこをしていた。『クウガ』のドラマに夢中になり、『アギト』の群像劇に翻弄され、次に出会ったのが『龍騎』だった。

 

※当記事は引っ越し前のブログに掲載した内容を転載し、加筆修正を行ったものです。(初稿:2015/6/11)

 

まず、「龍騎」という名前に衝撃を受けた。漢字名のヒーローは当時の自分にとって馴染みが浅かったからだ。VHSでウルトラマンを観て平成ウルトラ3部作で育った世代なので、私のヒーローはおよそ全て片仮名だった。

前述の『ウルトラマンティガ』に始まり、『グリッドマン』『カクレンジャー』『ビーファイター』、そして『カブタック』や『ロボタック』。『クウガ』に『アギト』ときて、『龍騎』だ。

 

率直に、カッコ悪いと感じた。だって漢字だとどこか野暮ったい。片仮名で、それも英語とか西洋の何とかを汲んだ名前の方がスマートだ。漢字のヒーローなんてダサかった。加えてあの見た目だ。クウガやアギトと違って、ストレートなカッコよさが無い。甲冑の趣きなんて、中学生の私には難しかったのかもしれない。

 

更にはカードを使って戦うというではないか。当時まだ遊戯王に心底ハマってはいたが、やはり「カードゲーム=子供のゲーム」という認識は強かった。

「子供向けなのに子供向けらしくない平成仮面ライダー」に当時の自分は大きな魅力を感じていたので、カードで戦うなんて「平成ライダーらしくない」。

 

未来の自分がアラサーにもなって信号機の斧を振り回すヒーローを毎週観ているだなんて、この時は考えもしなかった。一丁前に、「俺もついに仮面ライダーを卒業かな・・・」などと感じていた。

 

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「俺もあいつみたいに戦えるのかな。もう一度仮面ライダーになれば」

 

そんな自分の不安を打ち砕いた出来事が、放送開始前日、街のオモチャ屋で起こった。

 

仮面ライダーの放送は日曜だが、その前日の土曜には玩具が店頭に並ぶ。今はもう潰れてしまったそのオモチャ屋に行くと、そこには目新しい『龍騎』の玩具が並んでいた。

自分を虜にしたのは、「無双龍ドラグレッダー」のアドベントカードだ。電流が走るほどカッコいい絵柄で描かれた龍に、ダイレンジャーの龍星王にもハマった私は完全に目を奪われた。

そして、「無双龍」という冠。「二つとは存在しない龍」という意味だが、中学生の私にはあまりにも刺激的な文言だった。かくして、放送開始前から私の不安は吹っ飛んだのである。

 

第1話

 

いざ番組が開始すると、「仮面ライダー」という概念がそれまでとは大きく違うのに衝撃を受けた。

クウガもアギトも、劇中には「仮面ライダー」という概念も呼称も存在しない。彼らは結果として、「仮面を被りバイクに乗るヒーロー」だったから視聴者視点から見て「仮面ライダー」だった。しかし、龍騎のそれは、また違っていた。

 

龍騎における「仮面ライダー」という呼称は、つまるところ「仮面ライダー」でなくても成立する。

別に「ミラーファイター」でも「鏡武人」でも「反転戦士」でも、意味が通じてしまうのだ。あの世界に「仮面ライダー」(1号)らの娯楽番組は存在していないだろうし、だからこそあの世界観と設定で「仮面ライダー」という呼称が用いられることに、(今で言う)メタフィクション的な魅力を覚えていた。

 

ライドシューターはあくまで移動のための舞台装置という印象が強かったし、あの世界における戦いを一般人は知り得ない。龍騎における「仮面ライダー」は、「仮面を被りバイクに乗るヒーロー」ではなく、「自らの願いの為に殺し合いを選んだ人間」なのだ。もはやrideでもなんでもないからこそ、良い。

 

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「確かに俺は金持ちで天才でカッコいいけど、それが何か?」

 

番組放送開始から、私は完全に龍騎にハマっていた。アドベント、ファイナルベント、といった小山剛志のバイザー音声をいつも真似して過ごしていた。

 

中学生にもなると、男の子は大体大人ぶりたがる。家では仮面ライダーに熱中しているのに、学校では最初はあからさまにそれをオープンにはできなかった。

ましてや、放送開始から2ヶ月経った頃には進級しクラス替えだ。新しい友達に「俺は仮面ライダーが好きだ!」などと、当時の私はそう簡単には言えなかった。

 

第9話

 

そんな私を救ったのは4月上旬に放送された第10話だ。

 

この話は、劇中第4の仮面ライダーである緑色の仮面ライダー・ゾルダが本格的に物語に絡んできた頃で、初めて彼のファイナルベントが披露された回である。

マグナギガが常軌を逸した砲台となり周囲一帯を破壊するあまりにも桁外れなファイナルベントに、私はテレビの前で「こんなの卑怯だろ・・・」とこぼした。あまりにもそのインパクトが強く、翌朝学校に行ってもそのシーンばかりが頭にフラッシュバックする。

 

しかも予告では、次回にはナイトこと蓮が記憶喪失になるというではないか。なんという危機的状況だ。この劇的な展開に憑りつかれていた私は、居てもたってもいられず、休み時間にできたばかりの友達に「昨日の仮面ライダーすごかったね」と話しかけてしまった。

結果、その友達も同志だった。なんてことはない、最終的にはクラスの男子の半数がすでに龍騎にハマっていた。その後、毎週月曜日には昨日の放送の内容で盛り上がったし、休み時間には「〇〇ベント!」と言いながら遊んでいた。

 

女子からは相当ガキに見えていただろう。

 

第17話

  

あまり歳が離れていない弟も一緒に龍騎に夢中になっており、そんな兄弟で議論が勃発したのは第16話だった。

 

この話は、仮面ライダーガイに変身する芝浦淳が主人公・城戸真司の勤めるOREジャーナルを乗っ取るも、島田さんの逆襲プログラムにより形勢逆転、クライマックスではナイトとガイの一騎打ちで盛り上がる、という内容だ。争点は、真司と同じく戦いに否定派だったライアこと手塚海之の行動だ。

 

彼は、バイクで走行中にミラーワールドを察し変身、その後ナイトとガイの戦いを止められず、ナイトの変身時に拳を喰らって倒れる真司に協力を求めに行くのだ。

この時、手塚は「ミラーワールドには入った場所からしか出られない」という設定を無視して行動している。序盤、2話冒頭でナイトからご丁寧に説明があったにも関わらず、彼はそのルールを破って真司の前に鏡の中から現れるのだ。

「これはスタッフのミスだ!」「いや!ライドシューターを使えば多分移動できるんだ!」「ブランク体だから縛りがあったのか!?」という、非常にどうでもいい内容で兄弟喧嘩をした。

 

今考えれば、その後もライブ感たっぷりに続いていく平成ライダーの歴史においては、とても些細なことなのだが・・・。

 

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「俺達、ライダーなわけでしょ? お互い潰し合うのがルールじゃん」

 

その後、VHSのテープが擦り切れるほど録画を観たのはや、はり第19話だ。

 

その時点で登場していたライダー全員が一箇所で戦い、ゾルダのファイナルベントが炸裂、そして「近くにいたお前が悪い」からの王蛇のファイナルベントでガイが殺害されるのだ。

シザースの死は事故性が高く、あれは「こういう世界観ですよ」という説明のために死んだ部分が大きいと、当時の私は察していた。だからこそ、本格的に脱落者が出たのはこの第19話だったのだ。

 

第20話

 

全員が集まって戦うという舞台をお膳立てしたのは他でもないガイこと芝浦淳だったのに、無情にも攻撃の盾にされた後に死亡してしまった。

 

王蛇こと浅倉威は、ガイを殺した後に「ライダーってのはこういうもんだろ?」と嘲笑う。

あれは主人公である真司が戦慄すると共に、この戦いは確かに命のやり取りだったと、どこかそのインパクトが薄まっていた視聴者に向けた問いかけでもあった。王蛇が、『龍騎』の物語の根底をいきなりえぐり始めたのだ。


『龍騎』のライダーたちは、カードで戦っている。

 

カードケースで変身し、鏡の世界に行き、技を応酬する。色鮮やかなライダーたちの戦いはとてもゲーム的で、だからこそ、そこで本当はギリギリの命のやり取りをしているというギャップが強烈なのだ。

そのギャップを実感させ一気に緊張感を引き戻したのが王蛇で、それはゲームマスターである神崎士郎と製作している東映スタッフが意図した通りだったのだろう。

 

対峙する龍騎と王蛇、画面の両側で威嚇し合うドラグレッダーとベノスネーカー。

このカットで当時の私はハッとしたのだ。「そうか、王蛇はこの中で唯一龍騎と同じ漢字のライダーだ」、と。だからこそとても強いし、ライバルなんじゃないかと。結局その関係性はゾルダが担っていくのだが、王蛇という名前の持つインパクトはとにかく突き抜けていた。

 

この頃、少ないお小遣いで買った「RIDER CHIPS Featuring 寺田恵子」の『果てしない炎の中へ』のCD。まさか劇中使用回数が1回とは思いもしなかった。

 

第28話

 

その後、ライアがまたもや王蛇の犠牲となって死に、年に一度の総集編に差しかかった。

 

総集編は製作側の負担軽減という意味合いも強かったと思うが、そこに「タイムベントで絵を修復する神崎士郎」と「繰り返されても戦いを止められない真司のジレンマ」という要素が付加されており、その完成度に当時とても驚いたのを覚えている。

結果、このタイムベントによる周回要素が『龍騎』の物語の根幹を占めることになる。

 

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「今の世の中はライダー同士の戦いと同じだ。生きるってことは他人を蹴落とすことなんだ」

 

夏、劇場版である『EPISODE FINAL』が公開された。

 

私の住む田舎には映画館が無く、映画を観るには片道3時間以上はかかった。なので、数週遅れで市の会館でお粗末な垂れ幕を設置して上映されたものを観た。映画館の音響なんて当然備わっておらず、元はただのホールなので、上映中に子供たちが歩き回ったりもする。

しかし、目の前で展開される先行最終回に、私たち兄弟の目は釘付けだった。

 

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廃工場で、パイプオルガンの音色を響かせながら戦い合うライダーたち。また一人、また一人、脱落していく。当時は半年後にこの最終回に本当に繋がると信じていたので、観たいような観たくないような、不思議なワクワクに浸っていた。

上映前に買ったパンフレットにはリュウガの変身者が黒塗りで隠されており、もしかして前年アギトの主人公だった翔一くんなんじゃないかと突飛な想像までしていた。

 

やがて、ミラーワールドの真実が明かされる。

あの戦いの全ては神崎優衣の命を救うためのとてもエゴな出来レースだったのだ。単なる魂の選別儀式で、願いなんて叶うはずもない。そんな物語の構造を全て明らかにしてしまった劇場版に、空いた口が塞がらなかった。特攻して生死不明で終わる龍騎とナイト、そのエンディングに放心状態だった。

 

9月19日、父が過労のため緊急入院した。

結果的に一日で退院できたのだが、その日はずっと楽しみにしていた『仮面ライダー龍騎スペシャル 13RIDERS』の放送日だった。

 

2種類の結末を電話で投票し、多かった方が実際に放送される。そんな驚愕の企画に冒頭数分間だけ観て参加し、母に連れられて病院へ向かった。

後で録画で観るつもりだったが、堪らず父の病室でテレビを点けると、ライアが見慣れないライダーに頭から地面に突っ込まされていた。予想をはるかに超えた展開過ぎて、私は思わずテレビを消した。

 

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家に帰って録画を観て、「なんて素晴らしいんだろう」と感動した。それはなんというか、物語の中身だけでなく、龍騎がこれまで半年間やってきた全てのエッセンスとキャラクターがたった一時間に綺麗にまとまっていたからだ。

 

投票は「戦いを続ける」に入れた。その方が戦いのシーンを多く観れそうだったから。いかにも中学生らしい動機だった。

 

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「それが正しいかどうかじゃなくて、俺もライダーの一人として、叶えたい願いがそれなんだ」

 

物語は佳境を迎えていた。タイガやインペラーが物語を掻き回し、熾烈な戦いの連続に観ている方も心身がボロボロになっていた。

 

私は龍騎が好きすぎて、でも玩具を買うお金は無く(加えて実はとても欲しかったのに中学生で実際に玩具を買うのはどこか幼稚だと思っていた)、アドベントカードのカードダスにハマっていた。どうしても手に入らないものは、番組の公式ホームページの画像を拡大して印刷して、厚紙に貼りつけていた。

 

第41話

 

この頃一番好きだった台詞は、第40話における龍騎の「俺は!助けたかったから、助けただけだ」。

オルタナティブ・ゼロこと香川先生が目的のために犠牲にした自身の家族を、真司は救出した。「関係ないよ。そんなこと先生はとっくに超越してる」という東條の言葉を遮るように、先の台詞が響くのだ。

 

どんなに過酷な戦いでも、無理かもしれなくても、真司はいつも自分を曲げなかった。「戦いを止めたい」「人を助けたい」。それは、タイガが死に、インペラーが死に、最後の最後になっても貫かれた信念だった。

ゾルダこと北岡が自身の命のために戦っていると知ってしまっても尚、それでも彼は「戦いを止める」ことを願った。それは、究極のところ他のライダーのエゴにまみれた願いと変わらないのだ。

 

だからこそ彼は、1年間、世界観と設定と番組コンセプトそのものを否定し続けた。

気付けば、そもそものドラグレッダーが強かったこと、また、誰よりも人を守るために積極的にモンスターを倒していたことが(沢山のエネルギーをドラグレッダーが吸収していたことが)、彼の「戦わない」信条を身を持って貫けたロジックになっていた。

 

第49話

 

最終回を前にして、主人公・城戸真司は死んだ。

 

テレビの前で、当時の私はそれを半泣きで眺めていた。赤い血が無残にも画面を彩り、「死ぬな!」と怒鳴る蓮の姿が一層悲壮感を強めた。非情を否定した男の最期を、非情になりきれなかった男が抱きしめて、看取った。その後、北岡は病に倒れ、浅倉も自身が好んだ闘争の中に沈んだ。

 

あの最終回に、当時の私は納得できなかった。

真司が頑張ってきた1年間が、どこか無駄に思えてしまったからだ。結局、全ての死んだ人間が生き返り、リセットされた。真司の奮闘はなんだったのか、と。

 

この違和感を飲み込むには、数ヶ月かかった。何度も録画を観て、ネットに書き込まれた解釈を探し読み込み、やっとのことで納得した。

あれは幾度となく繰り返された戦いの最後の1回であり、真司が1年間駆けずり回ったからこそ、「神崎優衣が命を拒否し兄の説得に成功する」というエンディングを成立させたのだ。

 

真司の行動は、決して何かのボスを倒した訳でも、明確な答えに辿りついた訳でもない。自己犠牲でも、どのライダーを助けた訳でもない。

ただ、城戸真司が秋山蓮と共に神崎優衣に関わり、その戦いを止めたいという思いと悩みを1年間彼女に見せてきたことが、あの「終わり」を導いたのだ。その解釈に納得できて初めて、私の中の『仮面ライダー龍騎』は完結したのだった。

 

第50話

 

アラサーになった今では立派なオタクになり仮面ライダーを毎週楽しんでいるが、やはりあの多感な中学生という時期に『龍騎』に熱中したのは、特異な体験だったと思う。『龍騎』を観ていた1年間、本当に、心の底から楽しかった。

 

『クウガ』も『アギト』も好きだし、『ファイズ』以降にも死ぬほど陶酔していたが、やはり『龍騎』のはちょっと異質だった。

あんなにも残酷で楽しい命の物語を、私は他に知らない。

 

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小説 仮面ライダー龍騎 (講談社キャラクター文庫)

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