目に見えるものが真実とは限らない。ドラマの放送順は劇中の時系列に沿っているのか? 脚本の執筆や撮影は、放送と同じ順番で行われたのか? お人よしは本当にお人よしで、悪人は本当に悪人なのか? コンフィデンスマンの世界へ、ようこそ!
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古沢脚本ファンとしては放送前から注目していた2018春ドラマ、『コンフィデンスマンJP』。古沢氏が得意とする「二転三転型トリックコメディ」を前面に押し出した作りで、映画『スティング』のような大胆な仕込み&騙しを連発していく異形の月9。最終回まで面白い作品でした。
本作の肝は、メインの3人が代わる代わるにカメラに向かって語り掛ける、あの冒頭のナレーションに象徴されている。「目に見えるものが真実とは限らない」。ダー子・ボクちゃん・リチャードの3人は、作中でゲスト悪役を大胆に騙しつつ、その物語や構成そのものが視聴者を騙すという二重構造。作品そのものに、何重にもトラップが仕掛けられていた。
その最たる部分が、最終回「コンフィデンスマン編」である。
「最終回=最後のお話」という視聴者の無意識な思い込みの裏をかく、「実は前日譚でした」というオチ。中国マフィアの一員が度々劇中に出ていたバトラーであったり、最後に第1話のオサカナを披露したりと、その仕掛けを説明する丁寧な種明かしが印象的であった。
しかし、この「エピソードゼロオチ」は、本作が1クールかけて積み上げてきた積み木の、一番上のひとつに過ぎない。注意深く観ていた視聴者にはしっかり気付けるように、調整されていた。
以下、古沢氏のnoteから、時系列に言及したものをいくつか引用したい。
実は、脚本を最初に書いたのがこの「リゾート王編」でした。もう1年くらい前なので懐かしい限り。このドラマは、脚本を書いた順番も、撮影した順番も、そして放送する順番もバラバラです。いろんなことを考えて放送順を決めてます。ゴッドファーザー編を1話にしたのは、ハチャメチャなことやりまっせ!という決意表明というか宣戦布告みたいなものですね。各話が独立した物語だからこそ出来ることで、今回やってみたかったことの一つです。でも画面をよーく見ると細かい部分で他の編とリンクしている遊びがあったりするので、あとで繰り返し見ると新たな発見があって楽しいかもしれません。
ちなみに、このドラマは一話の中で数か月ときには数年、簡単に時間が飛びます。このぶんでいくと最終回の頃には十数年たってしまうんじゃないかとお思いの方もいるかもしれません。しかし、話の順番が時系列通りとは限りません。複数の仕事を同時進行している場合もあるでしょう。そんなヒントを探してみるのも一興かと。
しかしここまで時系列と関係なく作った連ドラも珍しいのではないでしょうか。たまにこのドラマの感想や批評で「回を追うごとに俳優たちがこなれてきて」とか「息が合ってきて」とか書かれているのを目にしますが、作った順番全然違うから、と言いたくなります。あなたが見慣れてきただけです、と。
ダー子がボクちゃんに対して指摘する「詐欺師をやめようと言い出した回数」であったり(最終回より第1話の方が回数が多い)、五十嵐とボクちゃんの顔見知り問題、幻の化粧水「弁天水」がそれより前に放送された「リゾート王編」のラストで商品化されている、「映画マニア編」で登場した「うなぎのカレー煮」がその前の回ですでに映っている、など・・・。
各エピソードがただシャッフルされているだけでなく、同時進行を思わせるヒントもあり、視聴者の好奇心をくすぐる仕掛けが施されていた。
前述の引用にあるように、古沢氏は「執筆」「撮影」「放送」の順番がことごとく前後した(シャッフルされた)ことを早い段階から明かしていたので、情報収集をしながら注意深く観ていた視聴者は、最終回の仕掛けにも早い段階で気付けたのではないだろうか。
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終わってみて全体を俯瞰して見ると、まず序盤は「悪役をスカッと騙す」というピカレスクロマンなエピソードを並べることで、視聴者がシリーズに入り込みやすい土台を形成している。そこから次第に、「古代遺跡編」「家族編」等の「スカッと騙されて終わりではない」変化球でバリエーションを提示し、「スポーツ編」「コンフィデンスマン編」といった「騙す行為そのものが破綻する、もしくはその行為自体に仕掛けがある」というメタな題材に傾いていく、という流れ。視聴者が抱く感情を上手く操作するかのよう、見繕っていることが分かる。
また、特に「美のカリスマ編」や「スポーツ編」に顕著だった、悪役をある意味で肯定していく展開も、同作の魅力として挙げられるだろう。これは、古沢氏の代表作である『リーガル・ハイ』でも多用されたパターン。「一見すると社会的に許されない悪人でも、その根底には矜持や美学があり、見る角度によっては肯定されるかもしれない」、というやつである。
これにより、悪人がやられてスカッとするだけに留まらず、人間の粘り強さや自己を見つめ直す視点について考えさせられるような、そんな後味の提供に成功している。悪人はなるべくして悪人になったのだろうか? それを形成する人間や社会の歪みがあったのではないか? 爽やかな雰囲気に一滴だけ垂らされた、毒のような問題提起だ。
キャラクターの人間味でいくと、最後にして最大の仕込みは、ボクちゃんのお人よしな性格だったと言えるだろう。度々、彼のお人よしにより窮地に陥ってきた訳だが(そのほとんどをダー子が予見して先回りしていたが)、最後の最後の最終回で、ボクちゃんのお人よしな行動までもが「騙しだった」というオチに繋がっていく。
時系列のトリックもさることながら、この、1クールかけて積み上げたキャラクター性を使ったトリックの方が、むしろ作り手の最大の仕掛けだったのでは、と感じている。同僚の荷物を持ってあげて、飲みに誘ってあげて、のうのうとあのホテルの一室に被害者を連れ込む。「ボクちゃんは確かにそういうことをしそう」。そう思わせた時点で、作り手の勝ちなのだ。
目に見えるものが真実とは限らない。 ドラマの放送順は劇中の時系列に沿っているのか? 脚本の執筆や撮影は、放送と同じ順番で行われたのか? お人よしは本当にお人よしで、悪人は本当に悪人なのか?
全てに疑いを抱かせるダー子らの「騙し」と、それをひとつ俯瞰した神の視点で操作して視聴者を惑わせる製作陣の「騙し」。この二重構造トリックが毎週それなりに決まるからこそ、このドラマは面白かった。
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また、時系列シャッフルは『古畑任三郎』を思わせるお遊びで、こちらもマニアの考察がはかどる内容になっている。毎回有名俳優がゲスト出演して主人公らと対決するショーシステムも、2作品に共通するところだ。古畑フリークの私としては、どこか懐かしい匂いを覚えてしまった。
最終回「コンフィデンスマン編」については、密室でのシチュエーション劇という意味で古沢氏が過去に手掛けた『キサラギ』に近いものがあり、こちらもどこか懐かしさがあった。
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思えば、毎回のようにこれだけロケ地やセットが変更になるドラマもそう無いだろう。エキストラの数も尋常じゃないし、用意した資料や美術のボリュームも、考えただけで頭がくらくらしてくる。よくこれを毎週放送できたな、というのが本音だ。
本作が常に持っていた「デラックス感」みたいなものの正体は、単純にここに起因していて、何よりも手間と金がかけられているのだろう。数千万を投資して数億を釣る。作中のダー子たちと一緒で、製作陣も大きな勝負を強いられたのだろうか。本当に、お疲れ様でした。
私を含めた多くの視聴者が懸念するように、「映画化決定」の報すら何かの騙しなんじゃないかという疑念が未だぬぐいきれないが、無事に公開されるのであれば、その日を楽しみに待ちたい。
最後に簡単に全体の感想を。
私が特に好きだったのは「リゾート王編」「美術商編」あたり。「家族編」あたりの変化球も良いけれど、やはりスカッといってくれた方が好みだったかな。「古代遺跡編」と「美のカリスマ編」は、途中までは良いけどオチが弱かった印象。騙し手であることを暴露してしまう「スポーツ編」、構造そのものをトリックにした「コンフィデンスマン編」は、やっぱり好き。メタ的な視点が大好物なので。
・・・んー、こうやって並べてみると、やはり放送順はこれで正解だったんだな、という気がしてくる。見事に視聴意欲をコントロールされてしまった。すごい。