ゴジラやウルトラマン等の巨大特撮コンテンツの、コンスタントな新作リリースが難しい状況にあった2013年。
その界隈に驚くほどの熱を叩き込んだのは、ギレルモ・デルトロ監督が建造した黒船こと『パシフィック・リム』だった。
あれから5年。
その間、二度目の海外産ゴジラが公開され、日本でも『シン・ゴジラ』が大ヒットし、アニゴジもシリーズが継続中。キングコングがスクリーンで大暴れしたかと思えば、ウルトラマンは毎年新作が作られテレビで放送される。
「界隈」の情勢はびっくりするほど変わったように思う。幼い頃からウルトラマンやゴジラを観てきた自分にとっては、とても幸せなことである。
「料理の最高の調味料は空腹」とはよく言うが、『パシフィック・リム』公開時の5年前、飢餓感は相当なものだったと思う。
しかしこれは、空腹だったからそれが美味しく感じられた=本来はそれほど美味しくない、という趣旨の話ではない。本当に美味しいものが、本当に空腹の時に、目の前にやってきたのだ。だからこそあの頃、「界隈」はお祭りのごとく盛り上がった。
『パシフィック・リム』は、デルトロ監督の巨大特撮やロボットアニメといった日本のポップカルチャーへの飽くなきリスペクトで構成された作品だ。
「ドリフト」という設定を持ち込むことでストーリーを極力シンプルに転がし、怪獣が暴れてそれをロボットが倒すという明確な「見せ場」をこれでもかと追及した。何度見ても、ジプシーが怪獣の背中から光を浴びてドーーンと登場するシーンには、ガッツポーズをしてしまう。
「ここ!決めカット!」「こういうのが最高なんだ!」という監督のこだわりの造形や演出の数々は、日本人が昔から観てきたポップカルチャーで慣れ親しんだものに違いないのだが、その異常なまでのこだわりと愛ゆえにどこかエポックメイキングな風格が漂うという、ただただ感涙モノの仕上がりになっていた。
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あれから5年。
そんな『パシフィック・リム』の待望の続編、『パシフィック・リム:アップライジング』が公開された。

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ムビチケを複数枚買い溜め、公開初日は仕事だったためTwitterを始めとするネットの閲覧をすべて断ち、前作のサントラを爆音で流しながら車を運転し、劇場に駆けつけた。
5年前、冒頭の橋を壊す怪獣に震え、出撃シーンで泣いた、あの感動とまた出会えるのだろうか?
期待も大きいが、同時に、不安も大きい。緊張しながら座席に座り、映画泥棒の動きを無の境地で眺めていた。
いざ鑑賞を終えると、意外と冷静な自分がいた。
前作を観た後の、頭を殴られたような感動やショックはあまりなく、とはいえ、「面白くなかったのか?」と問われれば、そうではないと明確に否定できる。そう、面白かったのだ。
賛否両論なのは百も承知だが、私にとっては、『パシフィック・リム:アップライジング』は十二分に面白かった。拳を握り、息を呑み、胸を高鳴らせた。とはいえ、前作ほどの「お祭り」には浸れなかったのが本音である。
この記事を書きながら、自分の感想を整理していきたい。(以下、ネタバレにご注意ください)
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定石でいくなら、監督が変わった、作曲家が変わった、等々の要因から挙げていきたいところだが、この辺りは私なぞが今更語らなくとも数多のサイトで言及されているだろうから、省略することにする。
まず、作風、そしてそれが主張する魅力として、前作が「特撮」寄りだったのに対し、今作は「ロボットアニメ」寄りだったのかな、という感じはあった。元々そのどちらの魅力も兼ね備えていた前作だったが、7:3から3:7に逆転した感覚だ。
これは、ジプシー・アベンジャーを始めとする、前作より総合的にシャープにまとめられたイェーガーのデザインや、前作で少なかった明所での乱戦、ロボットが空を飛び、市街地で豪快にビルを破壊しながらの機動力抜群の戦闘シーンなど、「ロボットアニメ的」な要素は挙げていけばきりがない。
ただ、これにより、前作にあった重厚感や巨大感が相対的に薄れたことは否定できない。
とはいえ、私は本作に限らず「続編で前と同じことをやっても仕方ない」思考の持ち主なので、この3:7のバランスそのものは良いと思っている。
ここまで機動力を駆使して怪獣に回り込んで戦うイェーガーは、5年前には観られなかった。決戦に挑んだイェーガーそれぞれの特殊武器が次々と飛び出す流れも、ロボットアニメ、もっと言うとそのゲーム作品をしている感覚があって面白い。
その昔、64で熱中した『カスタムロボ』というゲームがあったが、あれに近い「箱庭を舞台に機動力と特殊武器で戦う」感覚があり、どこか懐かしくもあった。
「よりロボットアニメの色が強くなった」という流れで挙げるならば、(これはパンフレットの解説文で尾崎一男氏も言及しているが)、「黒いイェーガー」ことオブシディアン・フューリーが非常に「それらしい」。

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同型機、もしくはそれに類する存在が敵サイドに堕ちてしまうパターンは、我々の好物とするところである。いつ赤いモノアイが「ブンッ...」と光り出すか余計な心配をしたくなるほどに、正統派なそれであった。
そんなオブシディアンが攻めてくるシドニーの戦いでは、高層ビルに映り込むイェーガーが画面の端から現れて遅れて本体が歩いてくるカットなど、前作を彷彿とさせる特撮的魅力もたっぷりであった。
上で3:7とは書いたが、その3の部分もちゃんとやってくれたイメージがある。海中を進む黒い影のシーンも、まんまゴジラだ。とはいえ、怪獣不在のこのシドニーの戦いが本作で一番巨大感や特撮感にあふれたカットが多く、クライマックスの東京決戦では高速バトルに振っていたので、分かった上での描き分け(分散)だったのかな、という気もする。
また、子供の方がイェーガーを動かすのに向いている、という設定が飛び出すのも面白く、思わずニヤニヤと観てしまった。量産機が乗っ取られて暴走するのも良いですね。ロボットが変貌して有機的に唸る、という伝統芸。
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さて、そんな『アップライジング』だが、致命的な欠点として、キャラクターの描き方が挙げられるだろう。
これは大きくふたつあり、ひとつは、前作からの続投キャラの顛末について。
前作主人公に相当しヒロインも兼任していた森マコを散らせ、ニュートンが敵の親玉に操られながら闇落ちするという、前作ファンにとってショッキングな出来事が待ち受けていた。
もちろん辛いのだけど、良くも悪くも続編あるあるのパターンとも言えるので、実は自分としてはそれほど引っかかっていない。逆説的に、自分は前作をあまりキャラクターの魅力で楽しでいた訳ではないのかもしれない。
どちらかといえばもうひとつの要因、今作初登場の訓練生の面々の描き方、こちらの方がダメージが大きい。
まだまだ未熟な凸凹チームが世界を救うため決戦に挑む、という大筋はベタながら良いのだけど、それに至るまでの愛着の持たせ方、個性の差別化、関係性の進歩など、魅せ方が単純に上手くなかった。
最後の方まで上手く彼らの気持ちにドリフトすることができなかったので、散る者がいても、助かった者がいても、感情がそれほど揺さぶられない。個人的には、これが一番痛かった。
そしてそれは、キャラクターだけではない。イェーガーの描き方や美術についてもだ。
細身でスタイリッシュな高速型イェーガーを始め、多種多彩なアピールポイントが各機体にあるものの、それらが最終決戦で矢継ぎ早に消化されていくので、単なるお披露目大会で終わってしまっているのだ。
もっと、事前に各イェーガーが単体で出撃するシーンがあるとか、特殊武器を上手く使いこなせないとか、そういうくだりがあった後の「全機出動!」なら分かるのだけど、初陣と最終決戦がイコールなので、カタルシスや満を持して感が薄い。登場人物だけでなく、イェーガーたちのキャラクター性についても、描き方が上手くない。
美術の残念な点は、コクピットやスーツである。
ジプシー・アベンジャー以外のイェーガーのコクピットやスーツ、そのほとんどの色味や構造がほぼ同じなのだ。つくづく残念でならない。ここが各イェーガーごとに違っているからこそ、それぞれのロボットに個性が生まれるというのに。
似たような色味の画面で、しかも髪型が分からないヘルメットを被ってしまうから、ただでさえ個性が薄い訓練生たちの個性が更に薄くなってしまう。
もし、上に挙げたキャラクターの立たせ方や各イェガーの個性が際立っていたら、本作は「お祭り」に届いたのかもしれない。
映像は(前作とは違ったベクトルで)ひたすらに刺激的なのに、どこか気持ちがドリフトしきれない感覚があるのは、この辺りの要因が足を引っ張ってしまっているからだろう。
とはいえ、だ。
私はそれでも、この『アップライジング』は面白かったと、そう感じている。
デルトロ監督の「志」は継ぐけども、彼の「作家性」までは踏襲しない。そう割り切った上で、「続編としてどう面白くできるか」「前作には無かった魅力を提示することはできるか」等々のアプローチを真摯に追求する。その結果、割と堅実な続編が完成する。端的に言えば、こういう流れだと思うのだ。
その、良くも悪くも漂う二次創作の香り、前作へのリスペクトが結果としてコアな魅力(デルトロ監督の作家性)を希釈してしまったがゆえのライトな出来栄えを、観る側がどう受け取るか。重厚さや無骨さが軽減されてしまったこの続編を、どう飲み込むか。
本作への感想の分岐点は、ここにあるのではないだろうか。
『パシフィック・リム』の魅力をどこに感じるか。ロボットや怪獣の造形・デザイン、キャラクターの描き方、監督の尋常じゃないこだわりの数々。そして、「続編」というものに何を求めるのか。「おかわり」か、「踏襲」か、「新しい魅力」か、「反証」か、はたまた「革新性」か。
これらの総合値として、それがプラスに振れるかマイナスに振れるかは、十人十色だろう。
結果として、『アップライジング』は前作におけるデルトロ監督の際立った作家性を5年ぶりに我々に痛感させたし、そこに視点を置いていた人には不満足な結果に終わったかもしれない。つくづく、映画との相性というのは恋愛のように難しい。つまるところ個々人の「こだわり」の積み重ねでしかないからだ。
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改めて考えてみると、私は、やはり『パシフィック・リム』のロボットと怪獣がドンパチ戦う映像そのものに一番心を奪われていたのだろう。シンプルながらそこに辿り着いてしまった。
だから、前作のようなフェチさは減ったものの、前作に無かった舞台とアプローチで繰り広げられる「ロボットと怪獣のドンパチ」に十二分に満足できた。富士山をバックに空から駆けつけるロボット軍団、なんていう最高におバカな映像は、このシリーズ以外ではそうそう観せてくれないだろう。
キャラクターの描き方についても、前述のような細かな不満は沢山あるものの、決定的な描写不足とまではいかないし、「一歩踏み出して跳ぶ」シーンといい、出来はともかく狙いは分かるくだりも少なくなかった。
「親族を失った者」同士がドリフトして再起する、という大筋は、前作と全く同じだからだ。まあ、だからこそ重ね重ね、もっとキャラクターやそれが織りなすドラマが巧ければグッと良くなったのに、と感じてしまうのだけど。
「特撮やロボットアニメへのリスペクト」が熱い前作と、「『パシフィック・リム』へのリスペクト」が厚い本作。
しかし往々にして、「この作品が好きだ!」という思いを出発点に作品を作った時点で、それは決してオリジナルにはなれないのだ。英雄になろうとした時点で、英雄になることはできない。
そのジレンマを大いに抱えているのが、まさに『アップライジング』なのである。ジレンマを苦く感じるか、愛おしく感じるか、貴方はどちらだっただろうか。
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