『シン・ゴジラ』の面白い点として、「こんなのゴジラじゃない!」という感覚があるのかなあ、と思うんですよね。
ゴジラといえば日本が生んだある種のスターとして世界的な知名度がある訳ですけど、それは戦争を連想させる恐怖だったり、怪獣プロレスの覇者だったり、怪獣と戦って結果的に人間の味方っぽくなったりと、それはもう世代ごとに様々なイメージがある存在。
自分はVSシリーズ世代だからか、敵の敵は味方みたいな感じで結果的に人間の味方っぽくなるイメージが強くて、割とゴジラには「正義の怪獣」に近いイメージを持っている方です。だから、後のミレニアムシリーズも、割と「いけーゴジラ!やっちまえー!」みたいに無意識に応援することが多くて(まあ『GMK』はともかく)、後にオタクと自覚した年頃に54年の1作目を観て「うわっ!ゴジラって恐っ!」と驚いたほど。
『シン・ゴジラ』は、そんな、各世代 ・・・もっと言えば個々人が持つゴジラのイメージを「進化前を登場させる」というアイデアひとつで一気に白紙に戻してしまうのが面白いと思っていて。
「こんなのゴジラじゃない!」という感情が、そっくりそのまま劇中の登場人物たちの「なんだこのヤバい生物は・・・」という戸惑いとシンクロするので、それまで持っていた「ゴジラのイメージ」が一旦無かったことになる。生理的に嫌悪感を抱かせるためか血しぶきをまき散らしながら這いずるゴジラの姿は、間違っても「いけーゴジラ!やっちまえー!」と言いたい相手ではなかった。
これまでも「ゴジラの子供」としてミニラが何度も登場していて、リトルとか、ベビーとか、ジュニアとか、色々と「進化前」の姿は存在していたのだけど、ラブカから発想を得たというあの第二形態の見てくれは、それらとは全くもって異質な存在として強烈なインパクトを与えてくれた。
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でも、そんな「こんなのゴジラじゃない!」があったからこそ、54年の『ゴジラ』が与えた(先の戦争を想起させる)恐怖を、現代的な(先の震災を想起させる)恐怖として描き直すことに成功した訳で、本質的には非常に『ゴジラ』的なゴジラだったと思うのだ。
見事な本歌取りである。
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「〇〇」に対して「こんなの〇〇じゃない!」と叫ぶのは、その「〇〇」への深い愛ゆえのことだとは思うが、しかしこの『シン・ゴジラ』のように、「〇〇じゃない」からこそ非常に「〇〇」的なゴールが待っている作品も少なくなく、実は「〇〇が〇〇っぽく見える」ことはさして重要じゃないのかもしれない、などとも思うのだ。(書いててこんがらがってきた・・・)
昨今で言えば、例えば仮面ライダーに対して「こんなの仮面ライダーじゃない!」という声が上がるのはもはや恒例行事の域に達しているのだが、そもそもの1号だってストレートにそれ単体でかっこ良いデザインかと問われたら自分としてはNOで、「バッタの怪人!?」という異形な姿にこそ意味があるのだと思っている。
アマゾンライダーだって、シリーズ4作目にして早速虫モチーフではないしね。
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だから、これももう方々で言われていることだけど、仮面ライダーは特に「こんなの仮面ライダーじゃない!」事こそがアイデンティティとも感じていて、そういった愛ゆえの批難の声が上がることが、むしろ健全のような気がするのだ。「仮面ライダーっぽくない事こそが仮面ライダー」という鶏と卵のような話ではあるが、そういう「〇〇じゃない!」の部分に本質が埋まっているのかなあ、と。
だからまあ、つまり何が言いたいかというと、「こんなの〇〇じゃない」と一見したイメージや先入観で批難するのではなく、「本質的にはどうなんだろう」という視点を常に忘れないようにしたいな、と。往々にして、「〇〇じゃない」を狙うのならば、中身は結構ストレートに「〇〇」ということが多い、ような気がする。
例えば、デジモンシリーズに『デジモンフロンティア』という作品がある。
これも結構挑戦的な作品で、シリーズ恒例だった「人間の子供とデジモンのパートナー」という設定を変更し、「人間が直接デジモンに進化する」という驚きのアイデアが採用された。まるで特撮ヒーローのように携帯機を操ってデジモンに変身するシークエンスは、当時中学生だった自分にとって衝撃的だったのをよく覚えている。
これもまた、「〇〇じゃない」作品だ。実際に、当時もそういう声が少なくなかっただろう。ただ、シリーズが続いていく中で、「デジモンが戦う側でパートナーの人間が傍観するだけになってしまう」という問題が累積してきたと聞いているし、その解答として「人間が直接デジモンに進化して戦う(傍観者がいない)」が採択されたという流れなので、決して「デジモンらしさ」を撤廃した末の判断ではない、ということなのだ。
確かにパートナー要素は無くなったものの、シリーズの大切な魅力である「異世界でのジュブナイル冒険劇」はしっかり描かれた訳である。またこれは余談だが、後の『デジモンセイバーズ』では「パートナーである人間が直接拳で相手デジモンを殴る」という、また別の形での解答が提示された。
また、ポケモンでもかなり挑戦的な代物があって、それは、サンデーで連載された『ポケットモンスターRéBURST』という作品。
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これも『デジモンフロンティア』と似ているのだが、人間が「ポケモンが封印された石」を使ってそのポケモンと融合するというトンデモな設定が売りとなっている。
ポケモンは、アニメでも各種コミックスでも「パートナーとポケモンの信頼関係」が度々テーマとして扱われ、その関係が強固なサトシとピカチュウだったり、ポケモンを使い捨てるロケット団だったり・・・ という対比がよく用いられる。この『RéBURST』でも、「ポケモンが封印された石」をどういうスタンスで使うかは作中のキャラによって様々で、道具のように使い倒す奴も少なくは無かった。
そういう意味で、非常に「ポケモン的」な作品だったとは思うが、どうにも致命的なレベルでお話が面白くなかったので、新境地を開拓するには至らなかった。
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話をゴジラに戻そう。
ゴジラの定義自体を揺るがすという意味で『シン・ゴジラ』は非常に力強かったし、『ゴジラ モスラ キングギドラ 大怪獣総攻撃』のゴジラも、「戦争で死んだ人々の怨念の集合体」という他に類を見ない出自となっている。そして、公開を控える『GODZILLA 怪獣惑星』のゴジラは、まさかの「植物ゴジラ」なのだ。
本作に登場するゴジラは、金属に極めて酷似した筋繊維の集積体で強い電磁気を発生させる特性を持つ体組織で、歴代最大となる膨大な質量を支えている。地球の生命淘汰(とうた)の果て、植物を起源に持つ超進化生命体として2万年の永き時を生きながらえた存在として、人類に立ちはだかる。
植物のゴジラだなんて、まさに「こんなの〇〇じゃない!」と言えてしまう設定だが、この太ましいフォルムはギャレゴジが先に披露したし、前年のシンゴジが盛大にイメージを破壊してくれたので、割とファンからは好意的に受け入れられているのかな? ・・・という印象はある。
きっと、このゴジラらしからぬ植物ゴジラも、本編の核の部分には「まさにゴジラ」という要素があるに違いない。私は、そう考えている。
「こんなの〇〇じゃない!」の、その奥。『鋼の錬金術師』の「真実の奥の更なる真実」みたいなややこしい言い回しだが、それを常に覗きにかかるスタンスだけは、持ち続けていたいものである。
まあ、世の中には、マジで最後の最後まで「〇〇じゃない〇〇」もあるけれど。(台無し)
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