実写版の映画『銀魂』、面白かったです。
『アオイホノオ』や『勇者ヨシヒコ』の福田監督が撮っているだけあって、良い意味で「ちゃちい」し、「しょぼい」。
そしてそれは、原作とアニメが築いた「なんでもあり」な土壌の上に積み上げられているので、総じて発生する化学反応は福田印でありながらしっかり『銀魂』になっていたと思う。
※以下、映画本編のネタバレがあります。
本作を観る上で色んなネットのインタビュー等を読んだが、一番興味深かったのがこれだった。
特に、よく叫ばれる「実写化における『コスプレ感』という言葉」について、監督が自身の感覚を述べているあたりが面白い。
──『HK 変態仮面』(13年)、今年公開の『斉木楠雄のΨ難』(17年)と、福田監督が手がけた原作付き作品の特徴の一つに、“忠実な再現ぶり”があるかと思います。今作も万事屋の内装や端々にある小道具に至るまで、原作ファン全員が納得する細部へのこだわりを見せています。中でもキャラクターたちの、ビジュアルの完成度はさすがでした。
ありがとうございます。メインビジュアルが出来た時、ネットで「“コスプレ感”まるだし」という声が挙がったのを見たんですよ。……僕ですねぇ、“コスプレ感”という言葉の定義がよくわからなくて。マンガ・アニメ原作の作品が映像化されると「“コスプレ感”がすごい」という感想が、よく飛び交うじゃないですか。でも、実際に原作ではそうした恰好をしているわけですよ。忠実に再現するためには、そのまんまの恰好を用意する他ないんです。
──はい(笑)。
『ヨシヒコ』も、ドラゴンクエストのパロディがやりたいから、ドラクエ的な恰好を用意したわけで。『銀魂』は衣装、髪型などキャラ造形を忠実に再現したのですが、それはどうなると“コスプレ感”と言われるようになるんでしょうね?
──衣装を着ているのか、着せられているのか。その違い……でしょうか。
なるほどねぇ。僕が思うに、マンガから現実に飛び出た!となれば、二次元に近づけるかを考えないといけないはずなのに、映画を作る際にマンガそのままを形にすることを“恥ずかしい”と考えて、捻じ曲げ中途半端にリアルを持ち込もうとするから“コスプレ”と文句を言われると思うんですよ。僕は、マンガそのままを形にすることになんの恥ずかしさも躊躇いがない。だいたい原作自体が“リアルさ”を必要としていない世界観なわけで。リアリティの有無は、僕、完全に監督の個人的判断だと思っているタイプで。ならば、僕が作る作品に「リアリティ」はいらない。違和感も含めてマンガにある形をそのまま忠実に再現すること、それこそが一番重要だと思っています。
『僕が作る作品に「リアリティ」はいらない』と言い切ってしまえるのが、福田監督の最大の強みなのかもしれない。
確かに、作中における天人の雑なビジュアル(その辺のドンキで買ってきたようなマスクだけを被っている)は完全に「非リアル」だが、これが一周して『銀魂』では「あり」なのだ。
だからこそ、マジにお金がかかってしまうからこそのあのクオリティだったのかもしれない定春も、結果として「あり」になってしまう。
あの浮きまくったCG定春がアレはアレで良しとなってしまう空気感そのものが、本作の勝因だろう。
・・・といった感じで、本題。
私は『銀魂』自体はお恥ずかしながらあまり詳しくなくて、原作漫画は飛び飛び、アニメもちょいちょい、といった程度。
だから、主要登場人物のキャラクターや関係性は一通り知っているけども、詳しくは分からないという状態。
「紅桜篇」については、公開に合わせてジャンプ+で復刻連載をしていたので、細部を思い出しながら読み直し、実写版を観た後に『劇場版 銀魂 新訳紅桜篇』を鑑賞。
原作ではあまりこのストーリーに絡まない真選組を『新訳』よりも更にガッツリ絡ませたりする辺りは、構成が上手かったなあ、と。
また、原作の桂の台詞(「大事なものが~」あたり)を主人公である銀さんに言わせたりすることで、「前後の流れがある原作・アニメの紅桜篇」を「もしかしたら最初で最後かもしれない1本の実写映画としての紅桜篇」に変換する試みにも、納得がいった。
ただ、タイトルにも書いた部分が、少しだけ引っかかった。
というのも、原作の「紅桜篇」を単体で読むと、本ストーリーの黒幕ポジションたる高杉と銀時は剣を交えない。
もちろんそれは前後のエピソードがあっての話なのだが、実写版ではやはり「1本の映画」にするために、2人が雌雄を決するタイミングを設けている。
これ自体はむしろ好きな改変で、両陣営のトップが最後にぶつかり合ってこその「少年漫画っぽさ」は、大事だ。
ただ、その後のシーン。
戦いの末に銀時と高杉の双方が倒れ、先に立ち上がった銀時に「とどめを刺せよ」と言ってのける高杉。
銀時は、自分と桂と高杉の昔からの関係もあってか、中々とどめを刺すことが出来ない。
そして、高杉を引き続き暗躍させてしまう結果に繋がる。
これ、原作とは真逆の落としどころなんですよね。
完全に「てめーをぶった斬る」と啖呵を切る原作。それをアニメ化した『新訳』の方では、直前の大立ち回りが原作に比べてかなり増量されており、しかも挿入歌が流れてアニメーションもキレッキレという「アガる」作りにもなっており、その流れを全部汲んで辿り着くのが「俺達ゃ 次会った時は仲間もクソも関係ねェ! 全力で・・・てめーをぶった斬る!」という、見るからに見所なクライマックスの一場面に仕上がっている。
原作や、それを忠実にアニメ化しているアニメ版では、「高杉と銀時は剣を交えない」けども、「てめーをぶった斬る」ことで精神的に同等以上に渡り合う形で宣戦布告を済ませている(銀時のスタンスが完成している)。
対する今回の実写版は、「高杉と銀時は剣を交える」のだが、「てめーをぶった斬らない」。
銀時は高杉を斬れず、勝負自体はドローになるものの、これでは銀時は精神的に高杉に負けたことになりはしないか。
ただ「壊す」ことを目的とする高杉に対して、銀時はスタンスを定めきれず迷って・・・という実写版が採択した展開は、ディープなファンの目にはどう映ったのだろうか。
私としては、 やはり「実際の勝負」でも「精神的な気構え勝負」でも主人公が負けてしまっている(正確には「勝ちとは言えない状態」)のは、あまり好きな展開とは言えない。
原作と同じく「てめーをぶった斬る!」と啖呵を切るか(スタンスを完成させるか)、もしくは完全に剣の勝負で勝ってからの「余裕たっぷりに情けをかける」か。
そのどっちかの方が好きだなあ、と。
まあ、これは難しいところで、原作を知らない一般のお客さんも想定した時に、「情に厚い主人公」「迷いを抱える主人公」というのは、好意的に受け入れられやすいのかもしれない。
特に今回の実写版は「同じ学び舎で学んだ3人」という背景を予告でも推していたし、そうすると「友情を感じるからこそ斬れない」というのは、ある意味とっても「主人公らしい」。
その「らしさ」に銀さんが染まることを良しとするか否かで、好みが分かれそうだな、とは思った。
ただ、『新訳』の方であそこまでガツンとクライマックス啖呵が設けられている以上、その爽快感が無かったのが相対的にとても惜しく思えてしまうのも、本音だ。
と、まあ、ここまで愚痴(?)っておいて何だけど、全体的にこの実写版『銀魂』、よく出来ていたと思うんです。
だからこそ、原作やアニメでガツン!ときていた部分がガツン!ときていない・・・ところが、必要以上に気になっているのかもしれない。
「未だ迷う主人公・銀時」も、もしかしたら実写版続編で上手く拾われて活きるのかもしれないですしね。
そんなこんなで実写版『銀魂』、ぜひ何らかの形で続編をよろしくお願いします!
実写版『銀魂』、紅桜編そのものもとても良かったんだけど、やはり導入から序盤にかけてのギャグが本当にキレッキレで、もっとギャグだけやってる回を観たくてしょうがない。連ドラ化頼む...。「映画と比べて予算少ないからいくつかのギャグ回しか出来ないアルよ」と言わせながらやってくれ。
— 結騎 了 (@slinky_dog_s11) 2017年7月17日
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