ジゴワットレポート

映画とか、特撮とか、その時感じたこととか。思いは言葉に。

「2010年代の自分」を映画で追憶する(映画テン年代ベストテン)

2010年から2019年までの10年間。私にとっては、人生で最も激動の10年間であった。

 

就職、結婚、転職。子供も生まれ、住む土地も何度か変わった。来年にはマイホームが建つ。それ以前からこうしてブログなどでネットにテキストを残していたが、今では大変ありがたいことに、これがひとつの副業となった。自分のハンドルネームがメディアや書籍に載っている。10年前では考えられなかったことだ。

 

趣味の分野においても、時間が有り余っていた学生時代に手を出したアレコレが「ふるい」にかかり、今や、「新しいジャンルに手を出す」よりは「現在愛好しているジャンルを継続・深化させていく」フェイズに到達してしまった。仕事に追われ、育児に追われ、趣味でさえも「現在愛好しているジャンル」に追われている。新しいことに手を出したいと常々思いつつも、中々どうして上手くはいかない。

 

・・・などというタイミングで、テン年代(2010年代)が終わりを迎える。以前より拝読しているブログ『男の魂に火をつけろ! ~はてブロ地獄変~』を運営されるワッシュさん id:washburn1975 の企画に乗っかる形で、私なりの「映画テン年代ベストテン」を考えてみようと思う。

 

washburn1975.hatenablog.com

 

対象作品の基準


・2010年から2019年までの間に公開された作品が対象となります
・洋画、邦画、アニメ、ドキュメンタリー、その他ジャンルは一切問いません
・「公開」の定義は困難です。劇場公開、ソフト発売、ネット配信開始など、どの形態であれ、2010年代に日の目を見た作品であればOKです
・ただし、あくまで「映画」が対象です。連続ドラマの1話などは対象外です
・シリーズものはそれぞれ独立した作品として扱います。シリーズ全体への投票は無効です
・テン年代の映画に入るかどうか迷ったときは、本ベストテンでは長年の大原則である「迷うぐらい微妙なら入れていい」を採用してください

 

こういうのって、本当に迷う訳ですよ。「映画史的にこれは外せないのでは」とか、「ジャンルの偏りがあるからアレを入れておくべきか」とか。あるいは、「何かを選ぶ」は「何かを落とす」ことですからね。グダグダと、時間をかけて悩みました。

 

しかしやはり、「私のベストテン」なんですよ。誰のためでもない、私にとっての10作品。それを一切の嘘偽りも欲目もなく選ぶ、そういう作品群に落ち着きました。そしてそれは結果的に、私の直近10年間の人生を総括するラインナップ。いや~、気持ち良いくらいに偏ってますよ、これは。

 

以下、10位から順に、書いていきます。

 

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10位『アメイジング・スパイダーマン2』(2014年米、マーク・ウェブ監督)

 

アメイジング・スパイダーマン2 (字幕版)

 

非常に、思い入れがある。MCUを含めアメコミヒーロー映画がぐんぐんと増えてきていた時期の作品だが、本作が叩き出した「ヒーロー論」あるいは「ヒーロー観」には、完全にしてやられた。クライマックスの一連の展開には大号泣。おそらく、後にも先にも私にとって「最も涙を流したアメコミヒーロー映画」はこれになるだろう。そんな終盤の展開だけでなく、VFXを多用した縦横無尽なアクションや、デイン・デハーン演じるハリー・オズボーン、アンドリュー・ガーフィールドのあのすらっとした佇まいの存在感など、大好きなポイントがいっぱい詰まっている。

 

また、個人的な意味でいくと、この『ジゴワットレポート』の前身ブログを開設して一番最初に書いた映画レビュー記事が、『アメイジング・スパイダーマン2』であった。今思えば拙すぎて赤面モノの内容なのだけど、おそらく私が人生で初めて「映画レビュー」という概念を意識して書いたものだ。今ではそれが仕事に繋がっているから、不思議なものだ。

 

9位『ちはやふる 上の句』(2016年日本、小泉徳宏監督)

 

ちはやふる-上の句-

ちはやふる-上の句-

ちはやふる-上の句-

 

 

『下の句』も『結び』も大好きだけど、やっぱり『上の句』である。2010年代は、多くの「漫画原作・実写映画」が制作された時代でもあった。私は基本スタンスとして実写映画ウェルカムな人間なのだけど、特にネットでは、その風当たりは依然として強い。ここを語り出すと長くなってしまうので割愛するが、本作『ちはやふる 上の句』は「2010年代において最も完成度の高かった実写映画」にカウントしても良いのではないか。それほどのパワーを持った作品である。

 

「文化系部活動の精神性はむしろ体育系」というアプローチは、音楽映画を中心にこれまでも何度か描かれてきた。本作はそこをベースにしながらも、百人一首としての「美しさ」、あるいは「品」のようなものを終始保っており、良い意味で「泥臭くない」のである。広瀬すずの圧倒的な眼力を軸に、青春部活モノとして爽やかにまとめ上げ、「才能に恵まれなかった者」と「勝利のロジック」が交錯する。トドメに、Perfumeの鮮烈な主題歌『FLASH』でキメにかかる。うーん、素晴らしい。

 

実写映画の可能性。邦画の可能性。その手のジャンルを観る際に、いつも脳裏にひとつの基準として現れる。それが、私にとっての『ちはやふる 上の句』なのだ。

 

8位『仮面ライダー×仮面ライダー フォーゼ&オーズ MOVIE大戦MEGA MAX』(2011年日本、坂本浩一監督)

 

仮面ライダー×仮面ライダー フォーゼ&オーズ MOVIE大戦 MEGA MAX

 

各々が独立しており、決して交わることのなかった平成仮面ライダー。その掟を本格的に破った『仮面ライダーディケイド』だったが、それは、新しい阿鼻叫喚の始まりでもあった。メタ理論を活用し、力業でまとめ上げたこともあったが、やはり「新旧ヒーローが作品の垣根を超えて共闘する」というシンプルかつ王道への「渇き」が募る、そんな2011年の冬。渇いた泉へ太い給水ポンプからごくごくと注ぎ込まれたのが、『MOVIE大戦MEGA MAX』であった。

 

『ディケイド』の佇まいも、それはそれで大好きであった。シリーズをライブラリ化した特異点、あるいは反則技として、その猛威は後の『ジオウ』でも振るわれた。だからこそ、「強敵に立ち向かうために交わることのないヒーローたちが集う」というストレートなプロットは、ネット掲示板に書き込まれるオタクの「俺シナリオ」でしかないのだろうか。そんな諦めすら漂い始めた時期に、それそのものが最高の形でお出しされる。この痛快さといったら。「これ!これなんですよ!」と、多くのファンが劇場で拳を握ったことだろう。

 

坂本監督が打ち立てたこの共闘フォーマットが、後の『平成ジェネレーションズ』に繋がり、『ジオウ』の世界観にも影響を与えたことは確かである。『MOVIE大戦MEGA MAX』は、平成仮面ライダー史において絶対に外すことのできない一作なのだ。

 

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7位『ウルフ・オブ・ウォールストリート』(2013年米、マーティン・スコセッシ監督)

 

ウルフ・オブ・ウォールストリート (字幕版)

 

日本での公開は2014年1月。しかし当時の私は、これを2014年ベストの1位にはしなかった。十二分に「好きな映画!」ではあったが、その時点ではまだ「自分の映画!」では無かったのだろう。とはいえ、こうして改めて2010年代を振り返っていくと、この作品を外すことはできなかった。おそらくこの10年間で最も繰り返し観た映画だからだ。何度も何度も観た。じわじわと、積み重なるように、自分の中に思い入れが増した作品である。

 

なぜかというと、生活と切っても切り離せない「仕事」で迷った時・煮詰まった時・暗い気分になった時に、この映画をカンフル剤のように使用しているのである。あるいは転職した際に、景気づけにキメる。私にとって、『ウルフ・オブ・ウォールストリート』はそういう映画だ。

 

本作で行われるビジネスは、倫理的にも法的にもアウトなのだけど、そこに流れる「執念」、仕事に向ける「情熱」、絶対に金を稼いでやるんだという「プライド」には、学ぶものがある。内容ではなく、気の持ち方として、こういうふうにハングリー&エネルギッシュに仕事に取り組みたい。常々そう思っている。特に、レオナルド・ディカプリオ演じるジョーダン・ベルフォートの後半でのスピーチ。周囲からは「もう手を引こう」と諭されているにも関わらず、彼は次第にマイクの前で熱を上げ、拳を突き上げていく。何度観てもグッとくる。目の前の仕事に熱はあるか。意地はあるか。そう、自分に何度も問いかけている。

 

6位『アベンジャーズ / エンドゲーム』(2019年米、アンソニー・ルッソ ジョー・ルッソ監督)

 

アベンジャーズ/エンドゲーム(字幕版)

 

2010年代は、MCUの時代であった。『アイアンマン』の公開こそ2008年だが、『アベンジャーズ』が2012年、『エイジ・オブ・ウルトロン』が2015年。私もご多分に漏れず、映画館に通い続け、シリーズを追ってきた人間のひとりである。

 

映画をユニバース構想で描く連作システムは、DCも追随するように始まり、モンスターも、ダークも、天下のスター・ウォーズも近い形でアプロ―チしてきている。しかし、商業・内容ともに大成功を収めたのは、現状ではMCUのみと言わざるを得ない。先駆者の勝ち残り状態である。映画をユニバース状で展開することが、いかに困難か。ただ内容をリンクさせるだけでなく、個々のテイストを調整し、それを活かせるスタッフを招聘し、大きな「うねり」を生み出すように公開していく。その采配のクオリティ。

 

そういった、映画というコンテンツの在り方にまで言及する一大プロジェクトを、いち消費者としてリアルタイムで追いかけることができた。2019年4月26日、ヒーローだけでなく、過去のMCU作品そのものが見事にアッセンブルしたあの瞬間を、私は一生忘れないだろう。「皆が勢ぞろいして戦って勝つ」。多くの観客がそれを分かっているのに、その通りに展開してしっかり好評を獲得する。これがいかに難題か。

 

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5位『トイ・ストーリー3』(2010年米、 リー・アンクリッチ監督)

 

トイ・ストーリー3(吹替版)

 

このブログではしつこく書いてきたが、私はアンディ世代である。子供の頃にシリーズ1作目を鑑賞し、大学生のひとり暮らし時代に『3』を観る。実家に置いてきた玩具たちに思いを馳せながら、止まらない涙に自分でも驚く。だからこそ『4』の傷は未だに癒えないし、この『3』を神のように崇める自分に嘘をつけない。

 

『3』公開前、1~2作目の3D版が上映されたのも記憶に新しい。この頃は、3D映画が一気に流行り始めた時期であった。猫も杓子も3D。単に3D機能を上乗せしただけの薄味の作品が世に出回ったのも、この時期であった。そういう意味では、2010年代は映画の上映方式が多様化した時代ともいえる。全国にIMAXシアターが増え、2013年には4DXが日本上陸。音響についても様々なパターンが導入された。そんな過渡期に公開された『トイ・ストーリー3』は、CGの質感と3Dの相性に「なるほど」と唸ったものである。

 

同シリーズは、「おもちゃの生き方」を常に描いてきた。言い換えれば、自己を殺し、主人に愛されるために尽くす、そういった価値観が是とされる世界でもある。それを突き詰めたのが『3』だし、そこに生まれていたはずの影にスポットをあてたのが『4』だ。『4』を観てしまった今、『3』のエンディングには一種の欺瞞が漂ったのかもしれない。それでもこの思い入れは、私を一生裏切らないだろう。

 

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4位『遊戯王 THE DARK SIDE OF DIMENSIONS』(2016年日本、桑原智監督)

 

劇場版『遊☆戯☆王 THE DARK SIDE OF DIMENSIONS』 [Blu-ray]

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先に挙げた仮面ライダーやトイ・ストーリーと同じように、私という人間の半生と共にあったのが、『遊戯王』という作品だ。TCGの大流行を生きたひとりとして、この映画への期待と不安は相当なものであった。誇張なしに、観る直前は吐きそうであった。それほどまでに、『遊戯王』という作品を深く愛好しているし、そのエンディングには絶対的な納得を覚えていた。表の遊戯が闇の遊戯と別れる。そこに希望が存在する幕切れ。だからこそ、「あの見事な完結のその後」が描かれる怖さは、尋常ではなかった。

 

製作総指揮を、原作者である高橋和希が。声優陣には風間俊介をはじめとするオリジナルスタッフが再集結し、総作画監督にあの加々美高浩が名を連ねる。なんという最高の布陣だろう。そして、膨れまくる不安をよそに、作品そのものは最高の形に仕上がっていた。「遊戯、俺たちの決闘をするぞ」。その台詞に魂が震える。冥界に還っていったアテムの扱い方、そして、原作では最後の決闘に居合わせることができなかった海馬の執念。原作ファン大納得の続編として、私が死んだらBlu-rayをなんとか一緒に燃やして欲しい。

 

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3位『シン・ゴジラ』(2016年日本、庵野秀明総監督、樋口真嗣監督・特技監督)

 

シン・ゴジラ

シン・ゴジラ

シン・ゴジラ

 

 

2010年代初頭は、「巨大特撮冬の時代」であった。幼少期からVHSでゴジラやウルトラマンを観て育ち、やっとこさ自分が大きくなったその頃には、それらのコンテンツが半ば休止に追い込まれている、そんな哀しい世代。国産ゴジラは2004年の『FINAL WARS』以降途絶え、ウルトラマンもレギュラーのテレビシリーズが放映されることは無かった。

 

しかし、2013年の『ウルトラマンギンガ』、同年の黒船『パシフィック・リム』、2014年のギャレス・エドワーズ監督『GODZILLA』と、巨大特撮はじわじわと息を吹き返していった。飢えていたファンはそのひとつひとつを涎を垂らしながら丹念に味わったものだが、その一連の流れの最後にやってきたのが、2016年の『シン・ゴジラ』である。国産ゴジラの復活。しかも、総監督が庵野秀明、監督・特技監督が樋口真嗣と、そんな夢のような冗談のような布陣があり得るのかと。

 

結果、同作は「特撮映画」「怪獣映画」の枠を超え、「面白い邦画」として国民的なヒットを飾った。それは、庵野秀明総監督の緻密かつ戦略的なマーケティング、東日本大震災を踏まえたゴジラというアイコンの見事な再解釈にあった訳だが、この一連のムーブメントを体感できたのは実に幸せなことであった。怪獣好き、特撮好きとしても、それがジャンルの囲いを飛び越えて認知されたことに、ひどく充足感を覚えた。色んな意味で、大切な一本である。

 

2位『平成仮面ライダー20作記念 仮面ライダー平成ジェネレーションズ FOREVER』(2018年日本、山口恭平監督)

 

平成仮面ライダー20作記念 仮面ライダー平成ジェネレーションズFOREVER コレクターズパック [Blu-ray]

 

やっぱり外せない。どう考えても、いくら振り返っても、どれだけ逆立ちしても、この作品を「2010年代の思い出」から外すことはできない。先の『シン・ゴジラ』が怪獣映画好きの自分にとってのマスターピースであったように、『平成ジェネレーションズ FOREVER』は、仮面ライダー好きの自分におけるエバーグリーンなのだ。

 

「いい歳して仮面ライダーなんて観てるの?」と、何度も言われてきた。そういう視線を飛ばされてきた。それでも、好きなものは好きな訳で、誰に何を言われようと、趣味は趣味として楽しみたい。子供向けのコンテンツ、分かっている。普通の成人男性は家におもちゃなんてない、分かっている。でも、その昔から自分の心を捕らえて離さないシリーズなので、今更この生き方を変えることはできない。例え、そこに大なり小なり「負い目」のようなものがあったとしても。

 

本作『平成ジェネレーションズ FOREVER』は、そんな私が持つ気持ち悪く面倒臭い感情に対して、「ずっとシリーズを追いかけてくれてありがとう」という感謝の回答を提示してくれた。いやいや、こちらこそ感謝ですよ。本当にありがとう。本来のヒーローものに求められるであろうカタルシスやアクション性にはやや欠ける一作かもしれないが、メッセージ性、俗にいう「エモさ」には引くほど全振りしてあって、そういう方向で刺さった人にはめちゃくちゃメモリアルな作品になっただろう。

 

嫁さんは私のこういった趣味に何一つ異を唱えないし、今や、娘がテレビを観て「あ、かめらぃだー、へちん!へちん!」と私に語りかけてくる。確かにこの10年間、平成ライダーシリーズは私と共にあったのだ。

 

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1位『パシフィック・リム』(2013年米、 ギレルモ・デル・トロ監督)

 

パシフィック・リム(吹替版)

 

私は、映画館の無い田舎で生まれ育った。両親も、あまり映画を観る人間ではなかった。そのため、「映画を観る」という嗜好は、私にとって永らく優先順位が高いものではなかった。特撮やアニメといったテレビ番組、あるいは漫画や小説、そしてネット。それらを循環する生活の中で、映画の地位は「それなり」でしかなかった。未だに、有名どころでも観れていない作品が沢山ある。

 

進学を機に田舎を離れ、ひとり暮らしを始めた。たまたま映画館が徒歩圏内の地域に住むことになったため、その頃から、映画館通いを覚えた。公開前からチラシで情報を収集し、映画館に飾られるポスターに胸を躍らせ、大きなスクリーンを見上げる。その面白さを過ごしずつ知った大学生の頃。

 

やがて就職し、またもや映画館が近い土地に住むことができた私は、当時流行り始めたTwitter(2008年に日本版サービス開始)と映画趣味を紐づけていった。タイムラインには私よりはるかに映画に詳しい人が沢山いて、いつ仕事をしているのか、いつ寝ているのか、疑問に思うほどに朝から晩まで延々と映画トークを繰り広げていた。

 

また、Twitterの世界においては、情報がとにかく早い。しかるべきアカウントさえフォローしておけば、ともすれば見逃してしまうような「自分向けの作品」と出会うことができる。公開前の情報、不定期に流れてくるイメージボード、複数パターンの予告編、本国での評判。そして、待ちに待った日本での公開。その一連の流れを、スマホの向こうにいる顔も知らない人たちとムーブメントとして共有する。そして、実際に封切られた後は、ツイートを連投しながら盛り上がる。実生活では、知り合いの誰ひとりも観ていないかもしれない。しかし、掌の小さな画面の向こうには、無数の同好の士がいる。なるほど、「こういう楽しみ方」があるのか。

 

それを初めて実感したのが、『パシフィック・リム』という作品なのだ。私はこの作品を通し、映画に対してどのように情報を収集し、期待し、SNSの空気を自分と照らし合わせながら公開までを座して待つ、そんなスタイルを知った。Twitterでしょーもない趣味ツイートをしながらブログを書き、映画を観たらブログを書いてそれをTwitterにも流す。そういった「今の自分」の根っこにあるのが、『パシフィック・リム』である。同作の特撮映画・怪獣映画としての意義も語り出せば止まらないが、それ以上に、「自分の映画!」なのである。

 

2010年代を総括するというお題ならば、これが絶対的に1位だ。映画というコンテンツ、その向き合い方や楽しみ方を教えてくれたきっかけの作品。言わずもがな、内容も大好物である。

 

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以上10作品、2010年代を生きた私という人間が選ぶ作品群。随分と偏っているが、長々と語り散らした上記テキストによって、それなりにご納得いただけただろうか。しょうがない、マイベストなのだから。

 

 

やはり、ある程度時間をかけてきた趣味というものは、実生活と切っても切り離せない。今回の作品選抜を行いながら、それを強く実感した。映画館で作品を観た時間だけでなく、それについてSNSをやっている時間、オタク友達と語り合う時間、全てが趣味にかけられたものだ。嫁さんとも、何度もふたりで映画館に行った。数ヵ月前には、ついに娘と一緒に『アンパンマン』の映画を観ることができた。

 

2010年代は、私にとって、激動の10年間であった。

 

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映画秘宝EX 究極決定版 映画秘宝オールタイム・ベスト10 (洋泉社MOOK 映画秘宝EX)

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「リアルサウンド映画部」にヴィラン記事を、「ヒトリビング」にひとり鍋記事を寄稿しました

お仕事の報告です。記事の公開タイミングが同日となったので、ふたつまとめて紹介します。

 

まずは、いつもお世話になっている「リアルサウンド映画部」。今回は、アメコミ映画のヴィランに関する記事を書きました。

 

realsound.jp

 

大ヒット中の『ジョーカー』を導入に、近年のアメコミ映画におけるヴィラン描写、その拡大の背景を追った内容です。サム・ライミ監督版『スパイダーマン』から、『ダークナイト』等を経て、どのようにヴィランの造形が変遷していったか(主題として直近十数年の急速な発展に絞って書いたので、それ以前のヴィランについては触れられていませんが・・・)。どうしても自分が語りたいばかりに『ミスター・ガラス』にも触れるなど。今回もまた、記事提供でYahooニュースにも載っています。よろしくどうぞ。

 

続いて、こちらは今回が初の寄稿になります。一人暮らしの情報が載ったウェブメディア「ヒトリビング」です。依頼を頂戴しまして、「ひとり鍋」の魅力について語りました。

 

diline.jp

 

私が独身時代に「ひとり鍋」に熱中していたことはブログやTwitterでも度々触れてきたのですが、その思いをたっぷりと込めた内容です。「ひとり鍋」の何が魅力なのか、そして、どのようにバリエーションを演出し、楽しみを見いだすのか。その考え方や実践済みのテクニックをまとめています。ぜひ、現在進行形でひとり暮らしの方に読んでいただければ幸いです。これからより一層、寒くなりますしね。

 

以上、ふたつの記事が本日付けで公開になっています。今週はもうひとつ公開予定の記事がありますので、そちらも追って告知します。よしなに。(ブログ本体の更新が疎かにならないよう、気を配りたいところです・・・)

 

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とっておき!ひとり鍋 (別冊ESSE)

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映画『ジョーカー』の感想がリアルタイムで移ろう、その臨場感がたまらない

映画『ジョーカー』が盛り上がっている。

 

一介の映画好きとして、同好の士で構成されたTwitterのタイムラインや、映画の感想を扱うブログを読み漁る日々を送っているが、ここ数日、『ジョーカー』のタイトルを目にしない日はない。もちろん、公開日からまだそう日が経っていないこともあるが、それにしても比較的語られている方だろう。

 

 

日本でも、公開から僅か5日で興行収入が10億円を突破するなど、流石の勢いである。第76回ヴェネツィア国際映画祭にて金獅子賞を獲得したことがエンタメ界隈で事前に大きく取り上げられていたので、期待値も高かったのだろう。

 

こういった話題作・大作が公開されると、SNSには感想や考察が飛び交い、無数のブログ記事がネット上に広がり、評論家や著名人のコメント、本国での評価も含めて、それらが一種のムーブメントを形成してく。もちろん、私が目にしているのは、私自身が作り・触れている環境の中で展開されたものだが、公開から数日間、そのムーブメントが次々と姿を変えていっているように感じられる。

 

この臨場感こそが、ロードショーの醍醐味だよなあ、と。

 

Notebook - Write something: Joker mask abstract notebook, Daily Journal, Composition Book Journal, College Ruled Paper, 6 x 9 inches (100sheets)

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公開前、及び公開直後は、陰鬱で苦しい映画という声が大きかったように思う。

 

この物語のどこをどう切り取るかは非常に難しい話なのだが、メインの軸である「社会の歪みがジョーカーを産み落とした」という部分に注目が集まっていたのではないだろうか。突然笑いだしてしまう病を患っていたアーサーは、仕事をクビになり、社会保障によるカウンセリングを打ち切られ、母の介護という現実を抱えながら、ゴミが溢れかえる街で狂気のピエロにその身を堕としていく。

 

満たされない承認欲求と貧困、多方からアーサーを取り囲んでいく「生き辛さ」は、現代人の誰もが抱える悩みとも言える。それは哀しいほどに普遍的なテーマだ。こうして私がブログの記事を書いている瞬間にも、職を失い、介護に精神をすり減らし、貧困に頭を抱えている人がいるのだ。「誰もがジョーカーになってしまうかもしれない」「誰の心の中にもジョーカーはいる」というフレーズは、そういった普遍的な「生き辛さ」に起因する。

 

だからこそ、例えば同種の「生き辛さ」をある程度感じている人、あるいはメンタルが不健康なタイミングにある人には、『ジョーカー』は勧め辛いのかもしれない。自分が味わっている「生き辛さ」をスクリーンに投影してしまえる、そんな力強さを持った作品でもあるからだ。

 

公開直後、そういったセンセーショナルな感想がSNSを中心に飛び交ったが、程なくして、その感想に対する反論のようなものが勢力を増していったように感じる。いや、「反論」とすると少し言葉が強いだろうか。「解釈の違い」「程度の問題」と言うべきか。「アーサーはアーサーだからこそジョーカーになったのだ。誰もがあんなふうになるなんて到底思えない」「そこに、ジョーカーを無意識に生み出してしまっている側の自意識はあるのか。寄り添うフリをした高みの見物ではないのか」「これは斬新な切り口でも何でもない。以前からずっと問題としては存在していた。今更これで盛り上がるのか」。

 

現代社会が抱える多種多様な「生き辛さ」。それを味わったからといって、拳銃を手に他人を撃ち殺す凶行にそう簡単に走るはずが無い。「誰もがジョーカーになってしまうかもしれない可能性」とまで言ってしまって、本当に良いのだろうか。それは誇大ではないのか。あるいは、それこそ恵まれた人間による傲慢な感想か。はたまた、今更こんな普遍的な「生き辛さ」に同情が集まるのは周回遅れか。

 

・・・そういった声が、初動の感想を受ける形で強まってきたように感じる。そして、ネットスラングで言うところの「無敵の人」という概念が近年広まっていた背景もあり、そこに絡めて語られることも多い。『ジョーカー』はゴッサムシティが舞台でありながら、そこにある諸問題は我々の実社会と重なるため、そこにどれだけの意味を見い出すかでどこまでも深く深く沈んでいけるのだろう。

 

もちろん、再三書いているように、これは私の個人的な観測範囲で起きた流れである。人によって体感した流れの詳細は異なるだろう。とはいえこうやって、公開中の映画に対する感想、そのムーブメント、流行り、論調、考察が波のように寄せては返していく様子は、眺めているだけで非常に面白い。これが積み重なって、意見が交わされ、後年にある一定の評価として語られることだろう。

 

また、本作は何かと関連する話題も尽きない。前述の金獅子賞についても、いわゆる「アメコミ映画」がそれを獲得したことによる歴史的な意義は、決して小さくないだろう。また、『スーサイド・スクワッド』でジョーカーを演じたジャレッド・レトのリアクションであったり、楽曲使用の是非に関する議論であったり、まさに作中のようなカオスの醸成を思わせる展開が続いていく。

 

 

私もご多分に漏れず、以下のような感想記事をこのブログにアップした。これまたひとつの可能性の提示、解釈の例に過ぎないのだけど、私はこのように本作を飲み込んだつもりである。(Twitterで意外なまでに広まっていったのでちょっと驚いたけれど・・・)

 

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ひとつのニュースに関する反応には、それこそ波のように「流れ」がある。

 

直近であれば、大型台風の首都圏直撃を受けてダム等の公共工事への賞賛が集まったり、災害対策、避難所の利用における関心が非常に強いタイミングと言えるだろう。この時には、普段であればタイムラインで人知れず流れていきそうなツイートが驚くほど関心を集めたり、地方では日常的に起きている問題と同種のものにスポットライトが当たったりする。こればかりは「流れ」のタイミング、時勢なのだ。

 

新作映画の公開は、現象としてこれに近い。公開から約2週~1ヶ月ほどは、この「流れ」がネット上を駆け巡っていく。極端な意見が一気に注目を集めたり、後発でロジカルな長文考察が顔を出したり、寄せては返しながら作品に関する「なんとなく」の総合評価のようなものがふわふわと形成されていく。この一連の流れが、非常に面白いのである。

 

後年になって、動画配信サービスやディスクで初めて映画を観て、その当時のブログや感想サイトを検索して読んだとしても、この「流れ」を体感するのは相当難しい。ネットのログを漁りながら疑似体験はできるかもしれないが、「公開週末にSNSが盛り上がって」「こういう意見が大勢を占めて」「反論するようにああいった論調が高まって」「海外からはこういうニュースが届いて」「ついに興行成績がここまで届いて」といった一連の「流れ」は、やはりリアルタイムにこそ価値がある。

 

まるで数週に渡って行われるひとつの試合を体感するように、観客として、あるいは無数に存在する出場者のひとりとして、その「流れ」に身を置けるのだ。

 

そんな『ジョーカー』について私見を述べるならば、アーサーに襲い掛かる「生き辛さ」は、間違いなく現代にも存在するものだ。しかし、そういった諸問題が「種子」だとして、アーサーがジョーカーに変化したことを「花」と表現するならば、問題はそのどちらに焦点を合わせるか、という部分である。

 

「種子」は、誰もが持っているのだろう。誰もが感じているのだろう。しかし、その全てが「花」になるとは限らない。裏を返せば、いつ誰の「種子」が萌芽するかも分からない。そういった意味で、「誰もがジョーカーになってしまうかもしれない」も、「そんな訳ないだろ」も、見ている部分の違いでしかないのだろう。実は同じ畑の中の話である。

 

何より、こうしてひとつの映画をきっかけに議論が交わされ、やれ社会の歪みだ、やれ経済の課題だ、やれ社会保障の闇だと、誰もが何かしらの立場で語ってしまうことこそが、すこぶる「ジョーカー的」ではないか。まるでそれがジョーカーによる新手のテロのように、賛否どちらであれ、皆が『ジョーカー』について一言述べておきたくなる。ジョーカーが自叙伝を監督・撮影し、それを世界中で公開してムーブメントを作る。そういった妄想が膨らんでしまうほどに、ジョーカーというアイコンは魅力的なのである。

 

そして、だからこそ、映画は極力リアルタイムで味わいたい。叶うなら公開週末に映画館で観たいし、そこから移ろいでいく様々な感想を並走する形で追いかけたい。「映画なんて後でDVDで観ても同じ」と言われることもあるけども、私は、そうは思わないのである。この時勢や臨場感は、パンフレットには載らないし、特典映像にも収録されないのだから。

 

バットマン:キリングジョーク―アラン・ムーアDCユニバース・ストーリーズ (JIVE AMERICAN COMICSシリーズ)

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映画秘宝 2019年 11 月号 [雑誌]

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感想『ジョーカー』 実はあの場でジョーカーは生まれていなかったとしたら

映画を観て、その感想を自分の中で咀嚼する際に、「どこまで自分に寄せて考えるか」を悩む時がある。

 

仮に物語の主人公と自分がある点について似ていたとして、「これは『自分』の映画だ!」と頭を殴られたような衝撃を感じ、涙を流したりもするだろう。あるいは、訪れた経験のある街並みが劇中に登場することで、そこにある空気をより身近に感じられたりもする。また、物語内の事象に現実に起きた事件や事故を重ね合わせ、必要以上に心を痛めることもあるかもしれない。「どこまで自分に寄せるのか」は、映画に限らず、フィクションを楽しむ際に常に存在している視点だ。

 

・・・などといった思考が頭を過ぎったのが、『ジョーカー』であった。私はこの作品を、どの程度自分に寄せ、どのくらい現実と絡め、どのように飲み込めば良いのだろう。スカッとするピカレスクロマンか、痛烈な社会風刺か、ルサンチマンを煮詰めてしまった成人男性の代弁か。あるいは、その全てを内包しているのかもしれない。

 

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第79回ベネチア国際映画祭のコンペティション部門にて最高賞の金獅子賞を受賞した本作。「アメコミ映画が遂にここまで!」という声も多い。今年で言えば『アベンジャーズ / エンドゲーム』が名実ともに世界一の映画になったので、そういった意味でも、2019年は記念すべき年なのだろう。

 

以下、ネタバレに言及しつつ本作の感想を記す。

 

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まず何より、ホアキン・フェニックスの怪演に触れねばならない。トッド・フィリップス監督の「不健康で栄養失調なアーサーが撮りたい」というアイデアを受け、20㎏以上の減量に臨んだという(日にリンゴひとつで過ごしたりもしたとか)。その成果もあってか、アーサーはとにかく不気味であった。母の介護をしながら、自身の病気に悩まされ、生き辛さを味わっていくアーサー。しかしそれ以上に、シンプルにビジュアルが「辛そう」なのだ。小さい肩と薄い胸板、お腹のラインと浮かぶ骨。

 

そんな「辛そう」なアーサーは、本当に辛い出来事ばかりに直面していく。コメディアンを目指してネタ帳をこしらえる日々が描かれるも、「でもこのアーサーが成功する可能性は低いだろう」と多くの観客が察してしまうバランス(コメディアン観劇シーンで、周囲との笑いのツボが決定的にズレていたのが哀しい・・・)。可哀想で、滑稽。突然笑い出してしまうという奇病を持ちながら、不安定な精神が招いたトラブルで仕事をクビになり、同じ時期に社会保障制度による面談も打ち切られる。諸々の状況がどん底に向かっていく中、彼の喜劇性だけが輝きを増していくのであった。

 

中盤、同じアパートの女性との関係がアーサーの妄想に過ぎなかったことが判明するシーン。そこから、本作の濃度が一気に増していく。アーサーが「信頼できない語り手」だと明かされた時点で、どこまでが真実でどこからが妄想なのか、それを断定できる手段を観客は失ってしまうのだ。不穏がスクリーンを超えて客席まで伝わってくる、良いバランスであった。

 

しかし思うに、本作における「ジョーカーの誕生」は、「アーサーの顛末」とイコールなのだろうか。むしろ、そうじゃないことこそが肝のようにも感じるのだ。

 

メタ的なことを言ってしまえば、本作に登場したブルース・ウェインは年齢的にもまだ幼く、彼が後にバットマンとして活躍するとしたら、アーサーはとっくにおじいちゃんになってしまっている。また、ジョーカーならではのカリスマ性や知略に長けた振る舞いが今回のアーサーにあったかというと、そこもやや疑問である。そうであるならば、将来的にバットマンと対峙するジョーカーはアーサーその人ではなく、彼に影響を受けたフォロワーという考え方ができないだろうか。

 

つまりは、本作にて誕生したのは「アーサーが覚醒し辿り着いた狂気のピエロ」ではなく、言うなれば「概念としてのジョーカー」、という解釈である。

 

クライマックス、暴徒により混沌とするゴッサムシティにて、アーサーは崇められるようにパトカーの上で踊る。彼は、自身の凶行が社会への反抗として支持を得たこと、喜劇の主人公にでもなったその状況に、酔いしれていたのだろう。しかし、ジョーカーに熱狂する群衆が、その化粧の下にあるアーサー個人を見ていたと言えるだろうか。

 

伝播する熱や狂気は、それぞれがかねてから持っていた不満を爆発させ、暴徒として膨れ上がらせる。日本でも、ハロウィンの夜に暴れる無法者たちが「ハロウィンというイベント」を楽しんでいたかというと、ひどく疑問である。そういった人々は、イベントやそこにある主題には関心が無いのだろう。心に持っていた何らかの鬱憤が、一緒にあるはずの社会的常識を破壊してしまったのだ。

 

ストライキによるゴミが溢れ返るゴッサムシティで、ピエロの仮面を被って暴徒化していた彼らは、本当に「殺人ピエロ」を崇めていたのだろうか。単に、自分たちが内包していた政治や経済、ひいては世界への鬱憤を、分かりやすい存在に重ねて叫んでいたのではないか。ましてや、彼らが「ジョーカー」という概念を「正しく」理解し、それを模倣していたとは考え辛い。

 

だからこそ、喜劇であり、悲劇だ。アーサーにとっては、自身がコメディアンのように世間の注目の的となり、万雷の拍手を浴びた、そんな喜劇として記憶されたことだろう。しかし、その群衆の多くは都合よく暴れているに過ぎないのかもしれない。

 

両者は、同じ方向に盛り上がっているように見えて、決定的にズレがある。アーサーの願いのようなものは、ほとんど通じていないのだろう。そして他でもないアーサー自身も、ジョーカーという架空の存在を頼ることで、屈折した自己弁護に陥っていたのだ。どう見ても悲劇と言えるが、それは主観で決まるものだと、他でもないアーサーがそう述べていた。本人が喜劇と思えば、何と言われようとそれは喜劇だ。

 

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あの後、事態は沈静し、逮捕者が出ながらも、ゴッサムシティはそれなりの平穏を取り戻していくのだろう。ピエロの仮面を被って暴れていた人たちも、「そんなこともあった」と素知らぬ顔をしながら、日常生活に戻っていくのだ。

 

しかし、あの時あの場で、「概念としてのジョーカー」が誕生していたとしたら。例えばたったひとりだけ、アーサーの孤独とルサンチマンを「正しく」理解した人がいたのかもしれない。彼にとっては一過性の伝播ではなく、狂気そのものが新たに心中に芽生えたのだ。そんな存在が後年、顔を白く塗り、髪を緑に染め、バットマンの前に姿を表わすのかもしれない。彼にとっての狂気の代名詞、「ジョーカー」を名乗りながら・・・。

 

この、「アーサーは真の意味でジョーカーではない」という解釈は、どうしようもなく本作のアーサーの造形に似合ってしまう気がする。むしろ、「ジョーカーにすらなれなかった」と形容した方が適切だろうか。とはいえ、彼自身の狂気が凄まじかったことに異論はなく、そこに「承認欲求をこじらせた成人男性」として寄り添うのか、あるいは「弱さ」と断じてしまうのかは、「どこまで自分に寄せるのか」によって違ってくるのだろう。

 

「生き辛さ」を感じない人生を送っている人は、果たして世の中にいるのだろうか。今やネットも発達し、大小様々な「生き辛さ」が可視化される時代になった。本作のアーサーのように、社会と経済に押し潰されてしまった人の声も日常的に目に入る。そこで見事に狂ってしまえるのは、ある意味本人にとっては、幸せなのかもしれない。

 

この映画を、どの程度自分に引き寄せるか。ジョーカーをキャラクターとして捉えるか、概念として飲み込むか。あるいは思想や信仰として受け止めるのか。間違いがないのは、そういった視点や線引きに触れてくるほどの強度を持った作品であった、という点だろう。

 

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感想『ジョン・ウィック:パラベラム』 三度目の復讐相手は、彼を裏社会へ引き戻す「世界」そのもの

きっかけは、趣味の友人からTwitterで勧められたものと記憶している。改めて、厚く御礼を申し上げたい。

 

『ジョン・ウィック』は、キアヌ・リーブスがアラフィフの身体を酷使しながら銃と柔術を融合させた「ガン・フー」を披露するアクション映画だ。亡き妻が遺した愛犬をロシアンマフィアのドラ息子に殺され、復讐心に駆られた元殺し屋のジョンは、勢いのまま組織ごと壊滅させてしまう。殺し屋ご用達のホテルや、アンダーグラウンドな裏社会のシステムなど、その作り込まれた世界観にも見事に引き込まれた。

 

その続編である『ジョン・ウィック:チャプター2』は、前作で好評だったアクションと世界観設定をひたすらに強化。復讐中毒となったジョンに、街中からエンドレスで殺し屋が襲いかかる。前作で犬と友人を失い、続いて車も家も無くしたジョンは、その魂を猛烈な勢いで擦り減らしていく。そして遂に、聖域ホテル内で殺人を行うという禁忌に触れたジョン。彼は追放処分を受け、世界中から狙われることとなる。悪夢に追われて逃亡するジョンの後ろ姿が、ラストカットとして印象的だ。

 

そして、満を持しての『ジョン・ウィック:パラベラム』(原題には『Chapter 3』の記載あり)。期待がかかるのは、更なるアクションのバリエーションと美麗さ、そして逃亡者となったジョンの終着点である。本当に楽しみにしていた続編だったため、なんとか仕事の都合をつけ、公開日朝イチの劇場に駆けつけることができた。

 

John Wick: Chapter 3--Parabellum (Original Motion Picture Soundtrack)

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まず何より、アクションの多彩さに尽きる。この点において、本当に期待以上のものを観ることができた。

 

同シリーズのアクションは、あまりに洗練されたプロ仕様を楽しむ作りになっている。泥臭い戦いや拳を交わすといった内容ではなく、はたまた、CGを駆使した人工的な戦いでもない。キアヌ・リーブスが身体を張って挑む、元殺し屋の美しいアクション。正確に銃口を向け、無駄なく頭を撃ち抜き、一対多の戦線を見事に突破していく。その独特のテンポがあまりにお見事なので、拳を握って興奮しながらも、思わずうっとりと眺めてしまうのだ。この点、1作目のキャッチコピー【見惚れるほどの、復讐】は、実に的を射ていた。

 

そして、その洗練されたアクションを彩るのは、戦いが繰り広げられるシチュエーションやギミックだ。自宅に侵入してくる敵を待ち構える銃撃戦に始まり、洞窟での乱戦、地下鉄構内でのサイレンサーの撃ち合い、鏡張りの美術館での戦闘など、ビジュアル面でもかなりの工夫が見られる。ここに、「ガン・フー」だけに留まらず、ナイフは当然ながらバイクや車を駆使した文字通り「体当たり」なアクションが取り揃えられている。なんと豪華な見本市だろう。

 

この点、『パラベラム』は前作以上の進化を見せてくれた。

 

まず冒頭、図書館でのアクション。本棚より背が高そうなノッポの殺し屋相手に、本一冊で挑むジョン。本を盾のように使ったかと思えば、お次はグローブのように活用し、最後は首に本を突き立てて思いっきりドン!次々と披露されるアイデアの数々に、否が応でも期待が高まっていく。

 

続く、観ている側もアドレナリンが爆発する乗馬アクション。ダークスーツに身を包んだジョンが颯爽と黒い馬にまたがり、夜の街を駆ける。通り過ぎていく車のライトや街のネオンも合わせて、もうこのビジュアルの奇天烈さ、一周しての妙な説得力が素晴らしい。そして、馬に乗りながらバイクで迫りくる敵を見事に倒していく。なんと痛快なことか!一歩間違えば最高に馬鹿馬鹿しいからこそ、最高なのだ。『ジュラシック・ワールド』での、バイクと並走するラプトル軍団を思い出す。

 

そして、アクションのバリエーションは尽きることがない。敵の銃を奪いながら犬を従えて繰り広げられる乱戦では、ハル・ベリー演じるソフィアが新たな見どころとなっている。長い髪を振り回しながら、的確に犬への指示を飛ばすハル・ベリー。2匹の犬が次々と敵の股間を噛み砕いていく様子に、どうしようもなく拍手したい衝動に駆られてしまう。

 

その後も、ホテルに乗り込んでくる敵兵士との白兵戦、美術品に囲まれた部屋で豪快にガラスに叩きつけられながらのインファイト(ガラス割りがあまりにテンドンすぎて笑えてくる)、ナイフとベルトを使った近接戦闘、そしてドス。キアヌ・リーブスは、一体どれだけアクションの訓練を積んだのだろう。見応えばかりであった。

 

繰り広げられるアクションは、ただ垂れ流されるだけでなく、絶妙なカメラワークとカット割りで捉えられる。スタントを極力使わない生身アクションも見所のため、カットが細かく割られることは少ないのだが、だからといってテンポの良さが損なわれることはない。

 

例えば、序盤の屋内での戦闘シーン、戦う手をぴたりと止めたジョンと敵は、互いに見合わせたように陳列棚のガラスを割り、そこにあるナイフを手に取って戦闘に戻る。これを一度見せておいて、新たな敵が追加で現れ同じように陳列棚のガラスを割ると、カットが切り替わった直後、ジョンもすでに別の棚をガラスを割ってナイフを手にしているのだ(そして気付いた時にはナイフを使った次の攻撃に移っている)。シチュエーションから戦法を学び敵の一手先をいくマシーンのような技術を、絶妙なテンポで表現しているのである。

 

ジョンの「プロフェッショナルさ」を演出するシーンは、枚挙にいとまがない。咄嗟に銃を改造するシークエンスや、闇医者との信頼関係を思わせるくだり、彼を庇ったことで窮地に陥るも何だかんだでジョンのことを想っている裏社会の権力者たち。ジョンが裏社会で過ごした年月とそのキャリアを感じられただけで、なぜこうも嬉しくなってしまうのだろう。

 

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物語は、世界そのものとも言える裏社会から追放されたジョンが、その運命に反抗する様を追っていく。来る日も来る日も殺し屋に狙われ、常に満身創痍のジョン。しかし彼は、亡き妻との思い出をこの世に留めるためにも、生き続けたいと願う。それは果たして、裏社会に舞い戻ることを意味するのか、それとも・・・。

 

『ジョン・ウィック』はよく「犬を殺されたから復讐する」という語り方をされるが、厳密にはあの犬は「犬」ではなく、「表社会の象徴」なのだろう。愛した妻と表社会で暮らすために、馴染みも信頼関係もある裏社会から脱したジョン。しかし、妻は亡くなり、犬も殺され、友人も亡き者にされた。彼を表社会に留めておく要素が、一枚一枚、確実に剥がされていく。そして、居心地の良い裏社会は、彼をもう一度引き戻すかのように手招きをし続ける。

 

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しかし2作目、車も家も失い「表社会の象徴」が遂に底を尽きたジョンは、復讐に我を忘れてしまう。それは哀しい殺し屋の性か、彼の人間性がそうさせるのか。そしてそのまま、裏社会に舞い戻るかと思いきや、そこにある秩序までもを破ってしまう。「表社会の象徴」が無くなり、間髪入れず、「裏社会の象徴」を自らの手で破壊してしまったのだ。彼の人生がマイナス方向にカンストした恐怖、それこそが『チャプター2』の大きなポイントであった。

 

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続く3作目『パラベラム』にて、彼は表社会に戻ることができるのか。あるいは、裏社会に忠誠を尽くすというバッドエンドが待っているのか。中盤、世界を統べる存在と相対したことで、彼に突きつけられる二者択一。彼の魂がどちらに転ぶのか、その結末に興味があった私にとって、同作の後半は非常に興味深かった。全てを犠牲にして表社会に殉じることもできず、かといって、裏社会に再び染まることも受け入れられない。ジョンの苦悩はいつまでも終わらない。

 

擦り切れたジョンの魂は、ロシアンマフィアへの復讐、誓印相手への復讐を経て、遂には世界(現実)そのものを相手に復讐をおっ始めるのだ。

 

クライマックス、物語の要として存在していたコンチネンタルホテルが戦いの舞台となり、物語は大見せ場に突入していく。「もっと強い酒をくれ!(意訳)」のシーンには心底笑ってしまったし、進化した防弾技術への対抗策にもニヤリ。ランス・レディック演じるホテルのコンシェルジュが遂に戦闘に参加するのも激アツであった。

 

愛聴しているラジオ番組「アフター6ジャンクション」の特集インタビューにて、チャド・スタエルスキ監督は、ダンス等のパフォーマンスショーの哲学を本作に盛り込んだと語っている。弾を込め直す様子や敵と取っ組み合う柔術は、「もたついて見える」という理由で、これまでやや避けられてきたという。しかし、リズム良くテンポ良く、パフォーマンスのようにそれらを披露することができれば、観客はきっと湧いてくれるだろう、と。

 

まさに、本作のアクションはさながらショーであった。「演舞」の概念にも近いだろうか。天晴である。絶妙なライティングにより彩られたサイケな世界観に、今回もまた見事に虜にされてしまった。報道によるとすでに2021年の続編公開が決定しているとのことなので、ジョンの終わりのない悪夢と復讐を、三度心待ちにしたい。

 

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あと、タイラー・ベイツとジョエル・J・リチャードによる、鳴り響く打ち込みのスコアがまた豪快&緻密であった。アクションの組み立てに合わせた強弱・フレーズ構成になっているので、叶うなら音の良いシアターでの鑑賞がオススメである。

 

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ジョン・ウィック:パラベラム

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