ジゴワットレポート

映画とか、特撮とか、その時感じたこととか。思いは言葉に。

このほど観たり読んだりしたエンタメの感想9連発(忍びの家、555パラリゲ、ジョン・ウィック4、キメラアント編、PLUTO、MONDAYS、GANTZ、龍と苺、ようこそFACTへ)

昨日に引き続き、リハビリがてらとにかく書いていきます。今日は、最近観たエンタメ(映画&漫画)の感想をざっくりと。また本腰入れて別記事でレビューをアップしたい作品も混じっていますが、それらは取り急ぎの初報ということで。

 

全てにおいて根幹のネタバレは避けますが、ふんわり触れかけているものもありますので、どうかご容赦を。

 

忍びの家 House of Ninjas

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賀来賢人プロデュース&主演のネトフリオリジナル作品。全8話の連続ドラマ。嫁さんに進められて何の気なしに観たのだけど、いやはやこれが実に面白い。めちゃくちゃ楽しめた。洋ドラの作りをとても研究&踏襲していて、どういうシーンでクリフハンガーに繋げるか、複数の群像劇をどういった塩梅で走らせるか、クライマックスに向けてそれらを如何に収斂させるかなど、まずもって全体の構成が堅実。というか、「現代日本に服部半蔵の子孫一家が政府から依頼を受けて活動する諜報員のように存在していたら」という設定が、ありきたりのようでよくよく考えるとちゃんとは無かったような、知っているようで新鮮なアプローチになっていて、これがもうすごく良い。見知った日本人キャストだから取っつき易いし、タイトルに「家」とあるようにちゃんとホームドラマになってる。妙に背伸びすることなく、実現可能なバジェットでエンタメを真っ直ぐ追及して創りました、という感じ。お勧めです。シーズン2熱望します。

 

仮面ライダー555 20th パラダイス・リゲインド

随分と昔に、児童誌連載の漫画かファンの二次創作か、一目見て感銘を受けた絵がある。それは、ファイズがホースオルフェノク(疾走態)に跨って心身一体で共闘して敵を倒すというもの。『仮面ライダーファイズ』という作品に “あえて” 続編を付け足すとして、じゃあそれをやる意味や意義として何が描けるかと考えると、「仮面ライダーとオルフェノクの共闘」だろうとぼんやり思っていた。当時の『ファイズ』は、これをしっかり映像で見せ場とはしなかったからだ。立場や生態が違う者同士が起こす軋轢や葛藤が『ファイズ』の旨味なので、その「違う者同士」が名実共に並び立ち共闘するのは、作品のテーマに対してとても素直な着地だ。また、20年前からすると今や価値観や感覚はすっかり変わった。「自分と異なる者」は、「もしかしたら身近にいるのかもしれない」から「当たり前に身近にいる」になった。そういうグラデーションの変化をも盛り込みながら、しっかりショッキングも用意して、迷いなく一直線にテーマに落とし込むあたり、流石の白倉&田崎&井上トリオだなと感服。この几帳面なバランス感覚に惚れるのよ。

 

ジョン・ウィック:コンセクエンス

シリーズ4作目にして一応の(一応の?)完結作。予算も上映時間もアクションの危険度も何もかも回を追うごと「膨張」していくジョン・ウィックシリーズ。上映時間が90~120分の映画が好きな自分にとって流石にどうしようかと思うくらい長かったけど、これはこれでジョンが辿るいつまでも終わらない悪夢を追体験するような仕上がりだった。階段を落ちた時はもうどうしようかと唖然としたし、凱旋門まわりのアクションにはゲラゲラ笑った。また、少年漫画的なストレートな熱さがいくつか盛り込まれていて、そういう意味ではシリーズ随一に「スカッと面白い」と言えるかもしれない。ジョンが行き着く結末は非常に納得がいくもので、むしろああじゃなきゃ嘘だろとも思っていたので、監督との解釈一致に喜んだ。アトロクでの監督インタビューも必聴。

 

HUNTER×HUNTER キメラアント編

途中までネトフリで配信されていて、かと思ったらU-NEXTで全話観放題だった。新ハンターアニメは特に序盤に原作からよく分からない改変をしたり、旧アニメの緩急のある演出からするとやや見劣りする場面もあるのだが、キメラアント編は本当によく出来ている。大量のキャラクターが複雑に交錯し、細かな時間経過や能力の応酬を重ねていくのだが、ナレーションと演出でそれらをばっちり捌いているのだ。シーンによっては原作より良いと断言したい。メルエムがコムギの名を思い出すシーンがドラマの頂点で、特にそのシーンの演出が好きすぎる。思い出すだけで泣ける。あの劇伴がお見事で、それを知ってから前の回を見ると普通に軍議を打っているシーンでそのアレンジが流れていて不意に涙がこみ上げたりもする。

 

PLUTO

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長年の原作ファンなので映像化には不安もあったが、土下座で謝りたいレベル。素晴らしい。こんな完全無欠なアニメ化もそうそう無いだろう。手描きセルアニメの味をしっかり残しつつ、要所要所でCGを用いてダイナミクスをもたらす。むしろ、セルに対するCGの一種の違和感を演出が利用しているきらいまであり、何ともクレイジーだ。他方で、原作もとい浦沢漫画特有の「あれって結局どういうことだっけ?」な話運びはそっくりそのまま踏襲しており、しかしここまでのクオリティでやられるとそれすら愛嬌に感じられるからずるい。とにかく、手ごろに短く間違いのないハイクオリティなアニメが観たい人には、文句なしでこれを挙げておきたい。ありがとう。感謝しかない。作画が安定しているとか、ぬるぬる動くとか、なんかもうそういう域をとうに超えている。

 

MONDAYS このタイムループ、上司に気づかせないと終わらない

正真正銘の「タイムループもの」で、そういうのを見慣れている人ほど面白がれる作品。このジャンルにありがちな設定やパターンをしっかり踏襲しつつテンポよく回していく前半部はかなり神がかっていた。タイムループって必然的に「同じカットや同じ演出が繰り返される」訳で、それらを極めてリズミカルに、もっと言えばミュージカルにも近い文法で処理していくのは実に納得度が高い。これはもはやパンパンスパパンですよ。逆に後半部、私としては前半の痛快さに比べるとかなりの喰い足りなさを覚えてしまったのだが、貴方ならどうだろうか。YouTubeで予告を観て「おっ!」と感じた人にはぜひ一度観ていただきたい。タイムループの解消としてこういうドラマに向かうのは分かるが、それにしても。うーむ。

 

GANTZ

急に思い立って文庫本全巻セットをポチってしまった。私は『GANTZ』を中高生にリアルタイムで浴びてしまった世代で、あの頃の「こんな漫画ッ!読んだことねェッ!!」という衝撃を今でも鮮明に覚えている。多感な中高生時代にこんなSFエログロを浴びてしまったらもう終わりですよ。終わりったら終わり。一寸先が読めない話運びが連続する本作だけど、巻末のインタビューで奥先生が「およそSF映画はほとんど観ているのでそれらのどれにも該当しない展開を連続させれば『誰も読んだことのない漫画』が描ける」と語っていて、そりゃ理論上はそうかもしれないけどエグいこと言ってんなと口をあんぐり開けた。今となってはデスゲームものの一種の祖にも位置づけられるのが感慨深い。ガンツがもたらすスーツや銃を日常生活で使える、この「異なる文法が日常に交じる興奮」こそがSFの醍醐味だよなあッ、って。

 

龍と苺

単行本で読んでいたが途中から我慢がきかなくなり、サンデーのアプリでコイン課金して最新話まで追いつき、今はサンデー本誌で読んでいる。自分がそれほどまでに「追いたい!見届けたい!」となった漫画は久しぶり。よく出来たエンターテインメントというより、歪なバランス感覚、突出したバロメーターを極めて自覚的に使いこなすようなタッチで、ついつい引き込まれる。嘘のようなタイミングで藤井八冠が誕生したのもひとつの追い風か。とにかく読んでみて欲しい。サンデーのアプリからでも、漫画アプリでも、何でもいいから。最初の数話を読んでみて「なるほどこういう『味』か」と思ったら、それが際限なくずっと倍々ゲームで濃くなるから。あと、今週発売のサンデー掲載の181話、驚愕の展開に目が点になった。物心ついてからこっち無数の漫画を読んできた半生で一番びっくりしたかもしれない。

 

ようこそ!FACT(東京S区第二支部)へ

『チ。』作者の最新作。単行本4巻で終わるボリュームで、つい先日最終話が公開になった。いわゆる社会的弱者に相当する主人公が陰謀論にハマってしまうお話。陰謀論がいかにある種のエンターテインメントに満ちていて、時にソリッドで、時に馬鹿馬鹿しくて、どうやって私生活に滑り込んでくるのか。ひとつの思考実験みたいな漫画で、見ちゃいけない世界を(漫画外の)安全圏から覗く優越感にも似た感覚がある。ウシジマくん型。そして、「この世界の多くが認識していない『真実』を知ってしまいそれを訴える者たち」という筋でやっていることが『チ。』と同じなのもブラックジョークが効いている。この主人公のような人間に本当に必要なのは、誰で、そしてどういった生き方なのか。着地が真っ当で綺麗なので、終わってみると余計に虚構部分が際立って感じられる。また初回から読みたい。

 

なんつってる間に4,000字っすよ。あ~あ、ブログ書きリハビリの辛いとこね、これ。

 

 

『仮面ライダーガッチャード』序盤評 ~懐かしく新しく朗らかな、由緒正しい東映特撮やろがい!

ここ数年、仮面ライダーの感想をしっかり書けていなかったこともあり……。何事もファーストインプレッションは大切ということで、『仮面ライダーガッチャード』序盤の感想を少し書き置いておこうかと。(執筆時点で8話まで放送)

 

結論から言うと、色々と思うところはありつつも……「懐かしく新しく朗らか」、という理解です。

 

引用:https://twitter.com/Gotcha_toei/status/1698131014550458855

 

制作会見を観たりスタッフ陣を確認したりして感じたのは、「すごい!いわゆる『オタクが好きなやつ』じゃない!」だった。なぜこんなひん曲がった感想を抱くかというと、今作の東映チーフプロデューサーが湊陽祐氏だからである。

 

氏は1988年生まれで2019年に東映入社。プロデューサー補(AP)として『仮面ライダーセイバー』や『暴太郎戦隊ドンブラザーズ』を経て、今作で遂にチーフプロデューサーデビュー、というご経歴。何を隠そう(何を隠そう?)、私と完全に同世代なのである。つまりこれが何を意味するかというと、周囲が特撮モノから離れていった小学校高学年期に『クウガ』に衝撃を受け、すこぶる多感な中学生期に『龍騎』や『ファイズ』を浴びてしまい、こじらせたオタクとして無限の時間を弄ぶ大学生期に『ディケイド』や『ダブル』を観ていた世代なのだ。なんということでしょう。佐藤健が主演の『電王』で「ぎゃっ!遂に主演が同世代になってしまった!」と衝撃を受けたものだが(鍛えている人は例外of例外)、あろうことか作り手の中核を担うプロデューサーまで同世代になってしまった。話は逸れるが、『王様戦隊キングオージャー』のメイン監督・上堀内監督は1986年生まれ、『ウルトラマンブレーザー』のメイン監督&シリーズ構成の田口清隆監督は1980年生まれである。着々と、「同じモノを観て育った人たち」が「作る側」に回ってきている。なんとショッキングでなんと嬉しいことだろう。

 

そんな湊プロデューサーだが、彼がAPとして担当作では司会を務めるTTFC(東映特撮ファンクラブ)で配信されるオーディオコメンタリーをここ数年ほとんど欠かさず聴いていることもあり、彼が随所で挟み込んでくるネタや構文、こだわりや注目のポイントは十二分に承知していて、その上で断言するが彼は完全に「こっち側のオタク」なのである。間違いなく、『龍騎』や『ファイズ』に青春を焼かれた仮面ライダーオタク、その人なのだ。分か~る分かるよ君の気持ち。つまるところ、もちろん立場上そんなことは決して仰らないだろうけど、未だにどうしても『クウガ』や『ファイズ』のあの頃の熾烈さと現行の仮面ライダーを比べて観てしまう自分に嫌気がさすような、そんな面倒くさい「こっち側のオタク」であろうことはほぼほぼ疑いようがないのだ。そんな湊プロデューサーが遂にチーフとして作品を制作されて、そりゃあもう「あの頃の平成ライダーよもう一度!」な、チャレンジングで熾烈で換骨奪胎で湿度の高い代物がお出しされるだろうと思ったら、なんてこったい、ホビーアニメの文脈がやってくるとは。びっくりですよ。とってもクレバー。もちろん、いわゆる「平成ライダー初期のようなテイスト」の孫の位置に前作『ギーツ』があったので、それとは連続させられないという事情もあったとは思うが。それにしたって、対象年齢をグッと下げるような、ポケモンとホビーアニメを足して割ったテイストを仮面ライダーでやるというのは、実に驚きである。

 

先のTTFCのオーディオコメンタリーをはじめ、各種ウェブメディアのインタビュー、フィギュア王に宇宙船といった関係雑誌もチェックしているので、『ガッチャード』スタッフ陣の作品に込めた想いというか、構造的な狙い所は承知しているつもりである。

 

それを踏まえて「上手くいっているな」と感じるのは、古き良き東映特撮というか、「そうはならんやろ」「なっとるやろがい!」の文法が織り込まれているところだ(以下、長ったらしいので「やろがい文法」と略記する)。どうしても世代なので、平成ライダー、特に一期に青春と感受性を焦がされてしまった人間なのだが、初期の平成ライダーというのはそれ自体が東映の長い歴史におけるイレギュラーな代物だ。東映という会社が送り出すヒーロー特撮は、もっと雑で、テキトーで、ふんわりしていて。やろがい文法を恥ずかしげもなく振り回す、面の皮の厚い作品がスタンダードなのだ。昭和の仮面ライダーしかり、過去の東映特撮を観るとツッコミは無限に湧いてくる。

 

が、しかし。それが悪いという訳ではない。やろがい文法でお話をぶん回しつつも、その時その時の絵のテンションがとにかく高く、ハッタリとケレン味に満ち満ちており、主題歌をギャーンと鳴らしてエネルギッシュに突き進む、ヒーロー活劇ドラッグ。そういう「やり口」でいち時代を築いたのが東映ヒーロー特撮であり、それこそ『シン・仮面ライダー』もそういったバランスを再演した映画だったと理解している。つまるところ、徹底してリアリティを追求し、警察のクマ対策を担う警備課にインタビューしたりパトカーの左右どちらのドアを開けるべきかにまでこだわった『クウガ』こそが異質なのである。「す、すごい!東映なのにちゃんとしてる!」という訳だ。しかしあろうことかリアリティごりごりの『クウガ』が反響を呼び、そのテイストを下敷きにした次作『アギト』が洋ドラの構造を持ち込んだため、平成ライダーは「そういうもの」として歩き始める。「そういうもの」というのは、つまり「東映らしくないもの」。だからこそ、後年でオールライダーと称して露悪的なやろがい文法でお話をぶん投げる姿勢に “平成ライダーに青春を焼かれた人” はつい怒ってしまう訳だが、東映からすれば「いやいやウチは元からそういう店だぞ」と意に介さないのである。いや、ですからね。湊プロデューサーは「平成ライダーに青春を焼かれた人」のはずなんですよ、きっと。

 

そんなこんなで、特にアントレスラー回で顕著だったが、『ガッチャード』は極めて「古き良き東映特撮」なのだ。細かい整合性やリアリティにそこそこ気を遣いつつも、作劇はパワープレイ。「そうはならんと思います? なってますから!!(断言)」で押していくスタイル。そして、新鮮味の担保でとにかく新形態(ワイルド含む)を登場させ、(ヴァルバラドはともかく)サブの仮面ライダーは設けず主役のガッチャードが毎週きっちり活躍して、お決まりの歌を流しながらキックで締める。勢いで進めているようにも感じられるが、主役を含む主要メンバーがティーンで学園モノでジュブナイルなので、その辺は若気の至りで温かく見守ってほしい。とにかく主人公がイイ奴で愛すべき馬鹿だということはきっちり伝えますので、温かく応援してほしい。そういうバランスに仕上げてきている。

 

しかし、そんな「古き良き東映特撮」は、平成ライダー以降の「戦隊よりちょっとだけ対象年齢とリアリティが高め」な路線からすると一周して異質なのだ。更に言えば、かなり意図して対象年齢を下げてきている。やっていることは完全にポケモンやデジモンの文法だし、ホビーアニメの腕力も垣間見える。そういう意味で、すこぶる新鮮。東映の長い歴史、とはいえ、平成ライダー以降も二十数年を数える訳だが、この土壌の最新作をまさかこうも先祖返りさせるとは。

 

『仮面ライダーガッチャード』、東映特撮として「懐かしく」、平成&令和ライダーとして「新しい」。こうまとめると、加速度的にエンターテインメントが多様化するこの時勢において、シリーズ最新作に実に相応しい調理にも感じられる。それでいて前述のように、ティーンでジュブナイル、主人公はとにかくイイ奴で愛すべき馬鹿なのだ。それだけで眩しいというか、要は「朗らか」。とにかく明るく楽しげ。若さはやろがいを許す。ずるい。(この点、『SSSS.GRIDMAN』『SSSS.DYNAZENON』でティーンの圧力を見せつけた長谷川圭一氏がメイン脚本のおひとり、というもの強力である)

 

もちろん、宝太郎がほぼほぼノータイムでケミーに肩入れして強い友愛を覚えるのは突飛だし、肝心要の主人公の行動原理に作劇的な納得度があるかというと、薄い。2話あたりではここがとっても気になっていたのだが、次第に話数を重ねていくと、なんというか、まぁ、宝太郎は(愛すべき)馬鹿だから多分ほとんど難しいこと考えずに刹那を生きてるというか、それこそホビーアニメの主人公ってノータイムで夢はでっかく世界チャンピオンだったりするので、「そういうもの」でごり押しするのかなぁ、という理解に至ってきた。もっと言えば、ホビーアニメなんてやろがいの宝庫ですからね。ヒロインである九堂りんねは若干面倒くさい感じが完全に南夢芽のそれだし、棘のある台詞を吐いても決して悪い子に見えないのは演者さんのルックや佇まいによるものだろう。4話のラスト、「同じクラスの女子が休日に私服で実家の定食店にやってくる」というボーナスイベントに年甲斐もなくドギマギしてしまったので、早くも白旗である。

 

玩具的には、遊戯王をはじめTCG世代である私にこれを回避する術はなく、順調にカードを集めてせっせとファイルに収納している。先行抽選販売で購入したベルトも、LEDがとにかく美麗だ。最近は専用のアプリもリリースされ、ベルト玩具を持っていない人もカードとスマホだけで遊べる環境が提供された。非常に手堅いと感じている。

 

つまるところ、明るく楽しくワチャワチャと馬鹿やってるような『ガッチャード』だが、その実とても「東映特撮らしい」クレバーな判断の蓄積によって構築されている、というのが私のファーストインプレッションだ。ぜひこのまま、あまり縦筋に注力せず、一話完結をベースに、たまにドギマギさせながら、やろがい文法でぶん回し続けて欲しいと願っている。

 

CHEMY×STORY TV size(『仮面ライダーガッチャード』主題歌)

CHEMY×STORY TV size(『仮面ライダーガッチャード』主題歌)

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人工生命体ケミー、縮めてケミー。この関東圏の、不思議な不思議な生き物。海に森に町に、その種類は101、いや、それ以上かもしれない。そしてこの少年、そんなケミーが大すきな、錬金アカデミーの一ノ瀬宝太郎。九堂風雅からガッチャードライバーを貰い、実家の定食屋を手伝いながら、バトルアンドゲット、錬金術師としての授業の日々を送るのだった。いくたの試練を乗り越えて、大物の錬金術師になる為に、出会いと別れを繰り返し、宝太郎と、その仲間達の授業は今日も続く。続くったら続く。

 

 

『仮面ライダーエグゼイド』とはポッピーピポパポのことであるッ!

『仮面ライダーエグゼイド』とはポッピーピポパポのことであるッ!

 

……というのはいささか暴論ですが、『エグゼイド』の同人音楽を作ろうと考えた際に辿り着いたのはこの切り口でした。同作のヒロインであるポッピーピポパポは、看護師・仮野明日那として人間社会で生活しつつ、実はドレミファビートの完全体バグスター。全くテンションが異なる相反するふたつの顔がひとつになっていて、シチュエーションに応じてそれを使い分けて活躍する。『エグゼイド』という作品は、一見すると水と油に思える「医療」と「ゲーム」のふたつ、それらを使い分けつつ、時に融合させ、根底にある食い合わせの悪さを逆手に取っていくような作劇が見ものだった訳です。つまり、ポッピーピポパポを語ることは実質『エグゼイド』を語ることと言わざるを得ないのが現状……!!!(!???)

 

ということで、制作しました。『仮面ライダーエグゼイド』の同人音楽ことオリジナルイメージソング、『ばいたるげえむ』です。

 

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ばいたるげえむ

ばいたるげえむ

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実は、制作順としてはドンブラザーズや鎧武より前でした。『ばいたるげえむ』が同人音楽プロジェクトの実質2作目です。

 

前述のようにポッピーピポパポをイメージソースとした場合、やはりと言うべきか、リスペクトするのは『PEOPLE GAME』しかありませんでした。『エグゼイド』といえば踏み込んだシナリオによる「えぐい展開」も記憶に残ってますが、それよりも何よりも、番組のルックとしてとにかく明るい。テンションが高い。物語に推進力がある。なので、ダークなノリにするのはやっぱりちょっと違うし、センチなバラードにしても物足りない。「明るく、ぐいぐい前向き」な曲調でありながら、どこか「やや切ない」というか、1ミリの「物悲しさ」が見え隠れするようなバランスが良いのではないか、と。作曲家様にはあくまで参考として『PEOPLE GAME』を聴いていただきつつ、このようなコンセプトをお伝えしています。

 

PEOPLE GAME

PEOPLE GAME

  • ポッピーピポパポ
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  • ¥255
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仕上がりました『ばいたるげえむ』、電子音ばりばりのエレクトロなサウンドでありながら、サビがちょっと「聴かせる」表情もあって、すごく気に入っています。

 

歌詞は、元ネタありきの『エグゼイド』散りばめは勿論ですが、かなり普遍的なテーマにまとめてみました。要は「神様や他人が色々決めたり指図したりするかもしれないけど、自分の人生を生きれるのは自分だけだよ」というやつです。これを「起承転結の転が連続するようにノンストップで展開し続けるエグゼイドの作劇シークエンス」にも若干なぞらえています。アドリブでも、後付けでも、ライブに突き進んで心が躍るんならOKじゃね? 人生ってそういうもんじゃね? と。

 

ちなみに、1番サビ、2番サビ、ラスサビと、それぞれ私の印象に深く残っている劇中のシーンをイメージして作詞しました。「ふぞろいでもマルチで勝てる!」あたりは特に気に入ってます。あと、こういう曲調のやつに女性ボーカルのラップパートが入ると最高教に入信しているので、こういう曲調のやつに女性ボーカルのラップパートを入れました。満足です。

 

 

そんなこんなで、よかったら聴いてください。チャンネル登録、高評価などいただけますと、とっても喜びます。どうぞよろしくお願いします。

 

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アフタードンブラザーズに観る『仮面ライダーファイズ』、時々すっごく熱くなるらしいぜ

2023年は『仮面ライダーファイズ』放送20周年。おめでとうございます!

 

言うまでもなく「CSMファイズギア&ファイズアクセルver.2」は予約済みです。知ってるかな? ファンアイテムっていうのは呪いと同じなんだ。税込52,800円をケチった者は、ずっと呪われたまま、らしい……。

 

p-bandai.jp

 

『暴太郎戦隊ドンブラザーズ』という令和版濃厚井上敏樹汁を浴びた余波で、最近また『ファイズ』を観ている。もう何度目かは分からない。無音で観ても7割くらいはアテレコできそうな気がする。『ドンブラザーズ』本編と同様に、こちらも全話が井上敏樹脚本。工事現場監督から出版社社長まで務める敏腕脚本家、その筆圧が感じられる逸品である。

 

しかし今回の『ファイズ』、なんと、自分でも驚くほどに面白い。いや、当然のように20年前から面白いのだが、なんだが抜群に面白い。俗に言う「解像度が増した」体感がある。こ、これが!アフタードンブラザーズなのか!

 

『ドンブラザーズ』のシナリオで興味深かったのは、課程や理屈をすっ飛ばす方法論だ。

 

例えば9話、「ぼろたろうとロボタロウ」。ドンモモタロウが初めてドンロボタロウにチェンジする回だが、そのドンロボタロウギアが一体どこから出てきたのか、果たしてそれはこのお話の焦点に存在していたのか、甚だ疑問である。続く10話「オニがみたにじ」においても、他の4人のメンバーは何の前触れもなく自然にロボ形態にチェンジする。パワーアップ展開の「パ」の字すら無い。


もっと続けるならば、12話「つきはウソつき」におけるドンオニタイジンの初登場もそれとは関係のないアイドルや嘘の話をずっとやっていたし、33話「ワッショイなとり」のオミコシフェニックスもあの汁がどうして金色の鳥に繋がるのかさっぱり分からないし、44話「しろバレ、くろバレ」も遂に訪れた犬塚の正体バレにメンバー間の劇的なドラマはろくに無く、48話「9にんのドンブラ」でもジロウは仲間との関係や経験に頼ることなく完全セルフで人格融合を果たしてさらっと難を乗り越えていく。

 

総括感想『暴太郎戦隊ドンブラザーズ』 近すぎない、遠すぎない、当たり前が通用しない。そんな誰かと出逢えるから人生は面白い! - ジゴワットレポート

 

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「どうしてそうなったのか!?」、それは分からない。「なっとるやろがい!」「なってるんだよなぁ~」で転がっていく。それが『ドンブラザーズ』。

 

しかしこれがただの粗雑に思えないのは、お話の組み立てにおける理屈や課程というより、キャラクターが持つ因果や宿命のようなものがしっかり盛り上がり、時に臨界点を迎えるからなのだ。スタンダードな構成だと、「理屈や課程が整っている」その先に「因果や宿命が映える」のかもしれない。しかし井上敏樹脚本の特徴は、「因果や宿命が臨界点を迎える」からこそ「理屈や課程がもはやどうでもよくなっていく」のだ。このバランス感覚が、他の脚本家とは明確に異なる氏のカラーだ。

 

『ドンブラザーズ』44話「しろバレ、くろバレ」。物語終盤まで引っ張った犬塚翼の正体が遂にバレる回だが、ここに至るメンバー間のドラマはあまり描かれなかった。タロウがイヌブラザーの正体を知ってほくそ笑むシーンも、猿原がドヤ顔で頷いて犬に関わる句を披露するシーンも、ジロウが「だから犬塚さんだって言ったじゃないですか」とリアクションするシーンも、全く無かった。それらはただの幻想であった。

 

そこには、それらより優先して描くべき因果や宿命があったのだ。犬塚は夏美を取り戻すためにみほに決闘を持ち掛け、ソノニは犬塚を愛してしまったが故に自ら斬られる。愛妻を襲われたことに激昂した雉野は犬塚に襲い掛かり、ソノイとソノザは仲間が人間に堕ちた事実に衝撃を受ける。命を落としたソノニを犬塚は自身への不幸を受け入れて救い、その上で彼女の想いを突き放す。この一連のドラマ。犬塚翼と、雉野つよしと、みほ(獣人)と、ソノニ。主にこの四者の因果や宿命は、沸点を超え臨界点に達し、劇的な盛り上がりを見せる。

 

だから、正体がバレる。正体がバレるに相応しい理屈や課程なんて、もはやどうでも良いのだ。「バレるか・バレないか」は単に二択の問題であって、それも消去法で「バレる」の一択しか残らない。決まりきった解答に尺を割いても仕方がない。それよりも、「愛憎劇がどこへ向かうのか」の方が、無限の解答を有しているからこそ面白い。かくあるから、物語の比重がこっちに寄る。大いに偏る。

 

「どうしてそうなったのか」は、突き詰めていくと説明に過ぎない。もちろん、説明を巧く面白く観せてくれる作品は無数にあるが、井上敏樹脚本はあまりそこを前面には持ってこない。それよりも、「キャラクター達がどう生きるか」、こっちの方が主題なのだ。「キャラクター達がどう生きるか」を、骨太に、濃厚に、分厚く描いていけばいくほど、「どうしてそうなったのか」を説明する尺は足りなくなっていく。でも、それでもいい。人生なんて、理屈じゃないのだから。

 

『ファイズ』は割とリアリティ寄りの作風で、年間を通してシビアな展開が多く、湿度も高く、陰鬱とした空気が漂っていた。もちろん笑えるシーンもあるが、『ファイズ』をコメディだと評する人はいないだろう。対する『ドンブラザーズ』は、基本ベースがバッキバキのコメディ。希代のコメディエンヌ・鬼頭はるかの突っ込みを軸としながら、「どうしてそうなったのか!?」「なっとるやろがい!」「なってるんだよなぁ~」を繰り返していく。時に理屈をすっ飛ばして、キャラクターが因果と宿命をオールに人生を漕ぐ様を見せつけていく。

 

そしてコメディだからこそ、井上敏樹脚本の狙いというか、構成の強かさを改めて学べたのだ。コメディは、「なっとるやろがい!」の当たり判定が広い。「なってるんだよなぁ~」で済ませてしまえる領域が広い。そういう語り口が “通る” のだ。つまり、井上敏樹脚本の神髄というか、本懐が、より強調された形で露出する。明度の高い井上敏樹脚本作品だ。『アギト』や『ファイズ』を筆頭に半生を井上敏樹脚本作品と共に過ごしてきたが、頭や心や腹で感じていたこれらの作品の魅力を、『ドンブラザーズ』の語り口が言語化してくれたような……。そんな感覚を覚える。

 

改めて『ファイズ』を観ると、まずもって偶然の頻度がすごい。すごいったらすごい。主要登場人物は野良猫と出会う頻度でオルフェノクに襲われるし、バイクで走っていたら執拗に大切な場面に通りがかるし、携帯電話で呼べばワープ級の速度で現場に現れる。強化アイテムはろくな前触れもなく「なんか草加が持ってた」みたいなノリで出てくるし、天井の穴から落下してくるし、宅配便で届いたりする。不自然なまでに下の名前を名乗らないのでメル友とは無限にすれ違うし、ホースオルフェノクに襲われ待ちかのように変身解除しないからやっぱり襲われるし、木場は酢昆布を買いに出かけてラッキークローバーの急襲を受ける。

 

シリーズにおいてはまあまあリアリティが高く、ベースがシリアスで湿っているからか、『ファイズ』のこの手のアレコレはいつまでも語り草である。目立つのだ。人間とオルフェノクの濃厚なドラマに対し、あまりにあっさり&さっぱりと描かれてしまうから。だからこそ、ファンの間でネタのように扱われることも多い。

 

しかし、これをアフタードンブラザーズの今に観ると、脚本の意図がより明確に、くっきりと感じられる。仮に偶然に必然を持たせたところで、強化アイテムの出自を描いたところで、それは要は「説明」なのだ。もちろん、説明は無いよりあった方が良いのかもしれない。が、最も描きたいものは何か。この物語のプライオリティは何処か。そこから弾き出すと、説明は本当に重要なのだろうか。

 

「なぜこうも偶然に何度もオルフェノクに襲われるのか」、ではない。「その結果オルフェノクにファイズやカイザが如何に対応し何に繋がるか」が重要なのだ。「なぜ強化アイテムがよく分からない経緯で登場するのか」、ではない。「それを得たキャラクター達が何を思って新たな力を行使するのか」が重要なのだ。

 

20年前から感じていた、『ファイズ』の面白さ。これまでもありとあらゆる言葉を尽くしてその感想を綴ってきたが、まさか『ドンブラザーズ』により明確に言語化してもらえるとは。『ファイズ』の楽しみ方というか、構造のどこにフォーカスして観たら狙いが分かりやすいか、それを今一度気付かせてくれたのだ。

 

改めて観てとても感動したのは、『ファイズ』の25話だ。

 

 

ラッキークローバーとのベルト争奪戦が加速し、巧と草加は地下に埋められた流星塾に逃げ込む。そこで出会うゴートオルフェノク、その人こそがスマートブレイン前社長であり流星塾を創設した花形であった。「戦え雅人」コールと共に、天井の穴からカイザポインターがドロップされる。一方のオルフェノク側は、海堂がラビットオルフェノクを後輩に持つくだり。先に木場を倒した者がラッキークローバーに加入できる事になり、ラビットこと小林は長田結花を人質に取る。「人間を捨てようと思っても捨てられないところが、俺様のいいところだ」。長田を救出した海堂は、自身がどうしようもなく人間である事に落胆し、誇るのだった。

 

このお話のラスト、カイザはラビットオルフェノクと偶然の邂逅を果たす。なんの説明もなく、マジの偶然に出会う。カイザが地下の流星塾から登ってきたらなぜスタジアムの観客席なのか、ラビットオルフェノクがなぜスタジアムの観客席に逃げ込んだのか、それはさっぱり分からない。嘘のように、両者はふらっと出会う。ましてや、草加とラビットオルフェノクにまともな因縁は無い。幹部級でもないただの新人オルフェノクだし、特別に強いという訳でもない。強化アイテムのお披露目に適した怪人とは到底思えない。

 

しかし。この流れでカイザがラビットオルフェノクを撃破する、そこに言葉にできない盛り上がりが発生するのだ。これこそが、井上敏樹の磁場だ。

 

カイザ、圧倒的な力

カイザ、圧倒的な力

  • 松尾早人
  • J-Pop
  • ¥255
  • provided courtesy of iTunes

 

草加は自身の過去と相対し、育ての親がオルフェノクだった業を新たに背負いながら、更なる修羅の道を歩もうとする。ラビットオルフェノクは、健気な青年が次第に力に溺れ、人の心を忘れ畜生に成り下がっていく、そのドラマが描かれる。ろくに関係がない両者。しかし、それぞれのキャラクターが持つ自分自身への因縁や宿命は今まさに臨界点を迎えているのだ。だからこそ、交わる。宿命と宿命がクロスし火花を散らす、それが熱い。怪物に堕ちた青年が、まるで処刑されるように強化アイテムの餌食となる。これがいい。だから、「なぜ交わるのか」は最早どうでもいい。

 

『ファイズ』には、こういった展開が多い。「まさかここがこう繋がるなんて!」というアクロバティックで強引な作劇は、キャラクターの人生を、そこにある因縁や宿命を色濃く映していく。返す返す、「どうしてそうなったのか」ではない。「そうなったらどうなるのか」を描きたい。

 

この一点に賭けていく剛腕っぷりが、井上敏樹脚本の魅力なのだろう。やはり最高だ。惚れ惚れする。完全に中毒者ですありがとうございます。『ドンブラザーズ』、5月のVシネマもすこぶる楽しみです。

 

(宣伝)こちらは10周年となる『鎧武』のオリジナルイメージソングを制作しました。

 

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『仮面ライダー鎧武』10周年を記念し、二次創作楽曲『フィンブルの風』を制作しました

Fic Soundと題した同人音楽企画の第二弾。今回は2023年に放送10周年を迎えた『仮面ライダー鎧武』をテーマに、『フィンブルの風』という楽曲(オリジナルイメージソング)を制作しました。

 

『鎧武』を一度でも観たことがある人は、これを聴けば、あの全47話が走馬灯のように脳裏を駆け巡る、はず……!

 


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各種サブスク配信もあります。

 

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フィンブルの風

フィンブルの風

  • Fic Sound
  • J-Pop
  • ¥255
  • provided courtesy of iTunes

 

 

前回の『快盗戦隊ルパンレンジャーVS警察戦隊パトレンジャー』をテーマとした『Valuable Symmetry』は、作中の心臓部ともいえるダブルレッドの関係性に特化し、両戦隊を鏡写しのように描く作りにしました。

 

続く今回の『フィンブルの風』は、元ネタである『鎧武』をいかに解釈し楽曲に盛り込むべきか。

 

私の出した結論は、「聴いた人の脳内に本編シーンの数々が鮮やかに蘇る」、走馬灯喚起ソングのアプローチです。縦軸重視の物語ということもあり、歌詞の頭は1話アバン、歌詞のラストは最終話の締めのカット、そういう構成に出来ないかと。だからこそ、歌詞に何か芯の通ったテーマやメッセージは特にありません。聴いてくださった方々がそれぞれ持っている、『仮面ライダー鎧武』という印象値。そこにリーチし、脳内記憶を掘り起こすことに特化させました。この曲にメッセージ性のようなものがあるならば、それは、『鎧武』本編から個々人が感じたモノにお任せします。

 

ひとつの楽曲を通して、主に主人公を中心とした登場人物たちの、激闘や葛藤や青春が思い起こされましたら、それが私の本懐です。

 

楽曲は、「和ロック」「ラップ」「聴いていて心が安らがない展開」「ハード」「転調」あたりをキーワードに、依頼しました。作曲とミックスのYouRSさん、そして歌唱をご担当くださったJUNK MARTINI(Kai / YouRS)さん、本当にありがとうございました。イメージ以上の、ヒリつく楽曲に仕上がって、本当に嬉しいです。パッケージデザインは前作に引き続きライスさん。蔦や植物要素、そしてファンタジーや北欧神話のイメージを引用していただき、最強のロゴを作ってくださいました。MV制作はもやしくん。『鎧武』本編にあわせて細かいネタを2人で企みながら仕込みましたので、ぜひ見つけてみてください。ドット絵はガラムマサラさん。突き抜ける青空を背景に、植物に浸食された街並みを、青いパーカーを着た青年が歩き続ける。この、「進み続ける」という意図を明確化したく、ドットのループという手段で依頼しました。細かいリクエストにもお応えいただき、改めて御礼申し上げます。

 

ちなみに、タイトルの『フィンブルの風』は、北欧神話が元ネタです。

 

ユグドラシルをはじめ『鎧武』のいくらかの要素が北欧神話モチーフなのは自明として、同神話には「フィンブルの冬」という用語があります。世界の終わりであるラグナロクが差し迫った、その前兆となる出来事を指すものです。『鎧武』本編は、言うなれば一年間をかけて描かれた「終わりの前兆」の物語だったのではないか……。もちろん、最終的に「終わり」は回避された訳ですが、それに引っ掛けて、あと「風」という単語を入れています。主題歌を歌った湘南乃風の名義は鎧武乃風、「今という風は何を伝えるため」、そして植物は風で種を運び浸食していきます。あるいは、「風を吹かす」、誰が流れや空気を作るのか。そういったいくつかの意味を込めていますが、まあ、要は自己満足です。それっぽいタイトルにしたかったのです。

 

それでは聴いてください、『フィンブルの風』。

 


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