ジゴワットレポート

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感想『仮面ライダーゲンムVSレーザー』 なぜ檀黎斗が才能に溺れたのか、九条貴利矢は彼の何を赦すのか。エグゼイドの真の最終話として圧巻の出来!

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上映映画館までかなりの距離があったので、泣く泣く鑑賞を先延ばしにしていた『仮面ライダーエグゼイド トリロジー アナザー・エンディング』。

その中でも最も期待していたのが、『仮面ライダーゲンムVSレーザー』だ。やっと観ることができた。

 

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『ブレイブ&スナイプ』『パラドクスwithポッピー』もそれなりに面白かったが、この4名についてはTVシリーズ本編で成長しきった印象が強いので、改めて描き直されるドラマそのものに強い魅力があったかというと、正直今ひとつであった。ゲーム用語を借りるのなら、あくまでボーナスステージである。

 

もちろん、飛彩と大我の男のドラマや、パラドやポッピーのデータ生命体の定義問題など、TVシリーズを乗り越えたからこその主張が飛び交う様は、ずっと追いかけてきたファンにとっては嬉しい。とはいえ、事実上「伸びしろ」がもう残っていないキャラクターたちでもあるので、やはりTV本編に比べると物語的なカタルシスで見劣りしてしまったのが本音だ。(もちろんこれは、Vシネそのものに何を求めるのか、という前提によって異なる感想ではある)

 

 

その点、『ゲンムVSレーザー』はキャラクターの「伸びしろ」よりも『エグゼイド』という物語の根幹に軸を置いていたので、TVシリーズ&各種映画作品の集大成としての魅力が大きかった。

 

改めて振り返ると、『エグゼイド』という物語はゲームと医療という要素を多重に掛け合わせた作品であったが、その面白さが本格的に走り始めたのは、貴利矢が散って永夢の秘密に迫るあの年末年始頃だったように思う。

無論、新ガシャットがものすごい勢いで出てきて複数ライダーが良い感じで殺伐とする1クール目も大好きなのだが、仕込んでいた要素が爆発し、黒幕(黎斗)が表舞台へ参戦するといった「物語の本格化」は、やはり2クール目にかけたあの頃に行われたものだろう。

 

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私の『エグゼイド』全体の感想は以下の記事にまとめてあるが、ここにも書いたように、常にびっくり箱が開いたり閉じたりして視聴者を楽しく振り回すスタイルは、主に2クール目「永夢の秘密編」で強く感じたものだった。

 

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2016年のクリスマスに散った九条貴利矢というキャラクターは、最初からそういう道を辿る存在としてデザインされていた。

だからこそ、他のどのドクターライダーより早期に永夢との距離を縮め、物語そのものの謎へも接近していた。その彼をしっかり散らすことで、『エグゼイド』のポップな雰囲気の裏にあったダークさが本格的に表面化し、多くの視聴者を虜にしたのは間違いないだろう。

 

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また、その貴利矢を手にかけた黎斗というキャラクターは、永夢への嫉妬心と自身の才能への自惚れを露見させながら、あの手この手で主人公サイドを苦しめた名敵キャラであった。

まさかギャグ成分を増すことで最終的に味方になるとは思いもしなかったが、彼の持つサイコな部分、ナチュラルに狂った倫理観こそが、『エグゼイド』という物語の中盤を牽引していたことは記憶に新しい。

 

そんな、『エグゼイド』がその仕込みを本格化させるに至った象徴的なキャラクター「九条貴利矢」と、物語を牽引した悪の根源こと「檀黎斗」。

この両名がタイトルに名を連ねた事実上のシリーズ最終話が『ゲンムVSレーザー』なのだから、同作のファンとして、どれだけ期待しても足りないのだ。「仮面ライダーエグゼイド」以上に、このふたりの仮面ライダーが「エグゼイドらしさ」を誰よりも担っていたのだから。

 

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前置きが長くなったが、本編の感想としては、まさに「期待通りのものが観れた」に尽きる。(以下、ネタバレに触れますので未見の方はご注意ください)

 

どうやら、監督以下スタッフも前述のような『ゲンムVSレーザー』のエグゼイドにおける重要性に自覚的なのか、物語・映像規模・予算・キャスト、全ての面で今回のVシネマ他2作より豪華な作りになっていた。

 

本作で初登場となったゲンムゴッドマキシマムゲーマー レベルビリオンだが、まさかフルCGによる変身バンクが用意されているとは思いもしなかったし、宇宙の力を操っての太陽光戦、隕石攻撃、クロノスのポーズ破り、月殴りに至るまで、その魅せ方にも創意工夫が凝らされていた。

まさに「シリーズ最強の敵」に相応しい説得力が、映像によって成立する。素晴らしいとしか言いようがない。

 

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神の領域に踏み込む檀黎斗は、なぜそこまでに自身の才能に溺れることを選んだのか。その真実を、他でもない因縁の貴利矢が言い当てるクライマックス。

黎斗の人間らしい一面が垣間見える名シーンであった。

 

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本作のポイントは、檀黎斗というキャラクターの常識から逸脱した倫理観にスポットを当てているところにある。

 

TVシリーズ本編でも度々描かれたが、黎斗は割と純粋にゲームクリエイターであり、自身が誰よりも素晴らしいゲームを作れること、そしてそれを多くのプレイヤーがプレイすることを心から望んでいる。更には、その才能ゆえに命の生き死にさえデータ管理できることから、倫理観があらぬ方向に傾倒し、人としての死を死と思わないサイコな一面をのぞかせるに至る。

「データ保存が可能で、いつでも(バグスターとして)復活できる」、だからそれは黎斗的には本質的な「死」ではない。この狂った倫理観が彼の行動の根底にあることから、味方サイドに属してからもしばしば永夢たちと対立してきた。

 

 

『ゲンムVSレーザー』では、彼のこの狂った倫理観について、他でもない彼自身が言及している。

 

あくまでそれが間違ったことだとも、道を外したことだとも思わず、「時代が私の倫理観に追いついていない」と表現する黎斗。その物言いは、母親を救えなかった現代の医療が自身のデータ保存技術に劣っていることと無関係ではないだろう。

母親が死んだ時に、もしマスターガシャットや仮面ライダークロニクルが完成していたら、バグスターとして母親の命を保存することができたのかもしれない。母親を救えなかった現代の医療と、それに解を見出した自身の才能と技術。だからこそ彼は、自身の才能こそが時代を超えたという価値観を持つようになり、ゲームという形で現代社会に復讐を仕掛ける。

檀黎斗という人間の狂ったパーソナル、その人間的な部分に触れることがるできる本作は、彼に振り回されてきた永夢や貴利矢、そして視聴者にとっても、非常に大切な一幕であったと言えるだろう。

 

「母親を救えなかった現代医療への復讐心」と、「人間を次のステージに導けるかもしれない自身の才能」。このふたつの要素が檀黎斗という人間を作り上げたのだ。まるで、「次のステージ」に連れて行くことができなかった、母親への贖罪のように。

彼には、自身の才能で現代医療にNOを突きつけることでしか、自分を保てなかったのかもしれない。悪役の根っこにある孤独な一面と、それでも数多の犠牲者を生み出した犯罪者としてのダーティーな過去。檀黎斗というキャラクターの魅力、転じて、『エグゼイド』における医療とゲームというふたつの要素における答えのようなものを、一手に引き受けている。

 

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そんな黎斗に対峙するレーザーこと九条貴利矢も、重い過去を抱える人間だ。

親友がバグスターウイルスではなく事故で亡くなっているため、黎斗が提唱する倫理観で救われることは絶対にない。だからこそ、貴利矢は黎斗を否定しなければならないし、そうしなければ自身の価値観にブレが生まれてしまう。それなりに仲良くタッグを組んだ時期はあったものの、本当は貴利矢こそ、誰よりも黎斗の倫理観に拒否反応を抱えていたのかもしれない。

 

 

TVシリーズ最終回で、永夢はデータ生命の存在を肯定する。バグスターも、バグスターとして蘇った人間も、同じ命であると公言する。だからこそ、同じ命として、医者として、黎斗を殺すことはできない。

そこで貴利矢は、命を賭してでも黎斗を断罪する汚れ役を買って出る。貴利矢というキャラクターの魅力は、こういった「自己犠牲を厭わない危ない空気」を常にまとっているところにある。誰よりも仲間思いだからこそ、自身を犠牲にしてでもそれを保とうとする。そういった儚い側面が貴利矢の持つ強さだ。一度は死んだという過去が、その危なさをより魅力的に肉付けしていく。どこか常に自嘲的、というか。

 

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そんな、物語的にも、キャラクター的にも、『エグゼイド』を牽引してきたふたり。檀黎斗と九条貴利矢。彼らが、因縁の大森坂というスポットで、しかも雨が降りしきる夜に対決する。

 

否が応でも「あの夜」が思い出されるシチュエーションで、貴利矢は友の死を背負って黎斗の倫理観を否定し、黎斗は母の死を背負って現代医療を否定しようとする。そんな黎斗の「否定」は「才能の押し付け」でもあったが、貴利矢の「否定」は檀黎斗という人間への「赦し」を含んでいた。

だからこそ、貴利矢は正宗との接触を経て黎斗という人間をより理解し、彼の嘘を言い当てる。いつだって最後に勝つのは、精神的に相手を赦せる広さを持つ側なのだ。

 

檀黎斗という存在の消滅。最後のライフが使い果たされた時、彼はもしかしたらほのかな達成感を得ていたのかもしれない。

自身が満を持して仕掛けた「ゾンビクロニクル」をプレイしてくれた、最後のプレイヤーとしての貴利矢への敬意。そして、抱えていた母への思いを汲んでくれた存在。その罪が消えることは決して無いだろうが、あくまで精神性として、ふたりの間では「赦し」が交わされたのだろう。

 

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この役割を貴利矢に当てたのが素晴らしいのだ。永夢や飛彩、ましてや大我だと、やはり「医者」として黎斗を正面から否定するしか道は無かっただろう。

しかし、同じように「大切な人」を失い、他でも無い黎斗に殺され、自身もデータ生命になってしまった貴利矢であれば、彼の考えに寄り添うことができるのかもしれない。『エグゼイド』という物語において、そのエグゼイド(永夢)が踏み込めなかった部分を扱うことができたのが、貴利矢だったのだ。

 

『ゲンムVSレーザー』は、そんな「エグゼイドらしさ」のコアな部分、2クール目にあった殺伐としたテンションを再現しながら、檀黎斗というキャラクターの根っこを掘り下げ、それを九条貴利矢に赦させるという構成を作り上げることで、シリーズの実質最終話として文句のない出来であったと思う。まさに圧巻。素晴らしかった。

 

最後に。内容の感想とはズレるが、特典映像におけるメイキングが良かった。

「八乙女先生が放心状態でフラフラと歩くシーン」、引きのカメラのすぐ前にカセットコンロを置いて火を焚いているのだ。これにより、ゆらゆらとした蜃気楼のようなエフェクトが画面に加わる。これぞ特殊撮影=特撮、思わず唸った。やはり特撮はメイキングが実質本編である。