ジゴワットレポート

映画とか、特撮とか、その時感じたこととか。思いは言葉に。

ブログを続けて良かったこと、分かったこと、身についたもの

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高校~大学時代に注力していたFC2、社会人になってからのgoo、そして現行のはてなと、サービスを移転しながら長年ブログを続けてきた。断続的だが、ブログ歴で言うなら10年を越えた。

度々書いているが、自分は単純に「文章を書く」ことが好きなので、ブログというアウトプットの場を個人で設けられるのは大変ありがたい。

 

・・・といった気持ちもあり、よく軽率に他人に「ブログいいよ!楽しいよ!」と勧めてしまうのだけど、改めて、「なぜ自分はブログを書き続けているのか」「どういう利点があるのか」を考えてみようと思う。

 

転じて、「ブログを始めてみようかな」「ブログって面白いのかな」という感覚を持っている人に読んでもらえたら、嬉しいです。

 

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「文章を書く」ことに抵抗が無くなる

 

一番はこれ。単純明快。ブログを続けてきたおかげで、「文章を作る」ことへのハードルが劇的に下がった。

 

大学時代のレポートも、卒論も、就活のエントリーシートも、就職してからの報告書や企画書やビジネスメールも、ある程度すらすら書けてしまう。しかしこれは「上手く書ける」とは決してイコールではない。あくまで、「書くことそのものに抵抗がない」レベルである。

だから、「ブログを続けると文章が上手くなる」とは口が裂けても言わない。あくまで趣味の文章だし、赤ペン先生がいる訳でもない。そう簡単に言葉選びは上達しない。

しかし、「文章を作ってみよう」という気概というか、そこに現れる精神的な壁は、随分と低くなった。「取りあえず書いてみよう」とキーボードを叩き始められるので、後は定型文や使える言い回しをググるなりして体裁を整えれば大体なんとかなる(主観)

 

何事も、「まずやってみよう」が中々難しい。

文章作成は仕事の上でも多くの人が切っても切り離せないと思うので、「文章作成に苦手意識がある」人こそ、ブログで好きなアニメでも何でも語り散らかす機会を持つことをオススメしたい。

 

 

インターネットで全裸になれる

 

これはあくまで感覚的なことだけど、Twitterに代表されるSNSは、いわば「街中」だと思っている。「雑踏」というか、「公園」というか。

それに対し、ブログは「家」。ブログを読みに来てくれる人は、良くも悪くも自分に興味を持ってくれた「訪問者」と言える。

 

街中で好きに呟いて、すれ違った人たちと意見交換をするのも楽しいのだけど、やっぱりオタクの性分というか、「ちょっとこれについては腰を据えて話させてくれ」的なものが出てくる。こういう時、SNSの字数じゃ物足りない。ふせったーに長文を投稿する文化もあるが、あれも本質的にはブログの需要と同じだと思っている。

あと、SNSだと、文字制限で省いたニュアンスを突っ込まれてヤキモキすることもあるので、ブログだとそこをいくらでも補足できる、というのも大きい。(だから私のブログは言い回しがくどくなる。改善したい・・・)

 

端的に言うと、「街中では全裸になれないけど、家では全裸になれる」。

ブログでは、自分の趣味嗜好について、全裸で語れる。全裸になれる安全圏は、まあ、無いよりはあった方が良いと思うのだ。(もちろん、内容によっては全力全裸すぎるとヘイトを集めるので、露出レベルは個々人で要検討である)

 

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ネットにおける広告ビジネスへの理解が進む

 

これはあくまで、アフィとかアドセンスとかやった場合の話。

 

当ブログを収益化して3ヶ月ほどだけど、なるほど、世の中のウェブ広告の仕組みに対して少しだけ理解が進んだ。

というのも、これまでも「Googleアドセンスにどういう理屈で金銭が発生するのか」は頭では分かっていたが、いざ自分でそれを貼る側になって分かる、感覚的な部分があった。

 

色々と調べながら、広告を貼る位置やサイズを検討していくと、大手メディアがどのように広告を掲載しているかに自然と注目するようになる。

などと言いながら、自分は世代のせいか「ネットの広告は不用意にクリックしない」という感覚が強いので(右上に×が存在しないフルスクリーンのエロ広告が青春の登場人物だったので)、「結構クリックする人がいるんだな」という驚きもあった。

 

また、「炎上してPVを集めるサイト」「薄味のレビューを羅列して商品を紹介するキュレーションサイト」といったあれこれの存在意義というか、少なくともそれらがどういう目的で作られるのか、実感として伴うことができた。

重ね重ねだが、頭で分かっているのと、実際にやってみて感じるのとでは、結構違う。なるほど、わざと主語を大きくしてPVを集めればアドセンス収益も増やせるよね、そこに真っ黒な甘い蜜があるよね、という実態と向き合うことができた。

 

アフィリエイトでいくと、例えば動画配信サービスを紹介する時に、最終的にAmazonプライムビデオを推すサイトが多いのは、その紹介料単価が高いからだろうという見通しを得ることもできた。まさか1件の加入で500円とは。驚きである。ネトフリはアフィが無いから、こういう場面では弱くなる。コンテンツそのものの強さとは無関係なパワーバランスがそこには存在していた。

 

どれもこれも、ある程度ネットに慣れた人なら、当然のように理解していることだろう。

しかし、たった3ヶ月ほどだけど、自分のブログから収益が発生する環境を作ってみて初めて「なるほど」に達する事柄が多かった。何事もやってみて分かるんだな、という、何百回目かの気付きである。

 

 

思考の整理ができる

 

あくまで副産物なんですけど、これがかなりクセになる。

 

例えばひとつの映画を観て、「良い!」と感じて、それをどこかに書きたくてブログの編集画面を開いたとする。

そこで、「良かった!以上!」で終わる訳にはいかないので、書いていくと自然に、「どこが良かったのか」「特に気に入った箇所はどれか」という観点が自分の中に形成されていく。書き終わってみると「こうこうこう、なので、自分はこれが好きです」という思考の整理が自動的に完了する。

 

「なぜこう思ったか」「どうしてそう感じたのか」、そして、それらを「どう第三者に説明するか」という思考の整理は、それこそ社会人になってかなり役立っているように思う。職種にもよるが、社内外、「説明」のスキルはどうしたって求められる。

あくまで「正しい思考手順」ではなく、(前述した「書くことへのハードル」と同じで)、「思考を整理してアウトプットする行為へのハードル」が下がるのだ。

「なぜこう思ったのだろう」「どう説明すれば相手により正確に意図が伝わるだろうか」。ブログを書くと、大なり小なりこれを毎回やることになる。

 

そうすると、自然と、毎日の何気ない生活においても、「自分はこう感じたけど、それはなぜだろうか」「ああいう体験があったから、今自分はこういう行動を取ったんだな」という思考のクセがついてくるようになる。

これが良いか悪いかはよく分からないが、少なくとも自分は、その思考手順で損をした覚えはない。

 

「アウトプットする」ことの副産物は偉大だなあ、と、ブログを書いていて毎日のように痛感するのだ。

 

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・・・などと、脈略なく挙げてしまったが、これは私の個人的な感覚であり、ブログにはもっと多くのポテンシャルが存在する。

引き続き自分の話で挙げれば、ありがたいことにブログ経由で寄稿の依頼をいただいて、何社かと仕事で文章をやり取りできたのも貴重な体験だ。また、それこそはてなのように、ソーシャルな側面を持ち合わせたサービスだとブロガー同士のコミュニティに価値を見い出す人もいるだろう。

 

ともかく、ブログって、ネット環境さえあればそう手間をかけずに始められるので、少しでも興味のある人は、ぜひやってみたら良いと思うのです。

自分の思考や嗜好を好きにぶちまけられる場所って、意外と重宝しますよ。

 

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