ジゴワットレポート

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感想『劇場版 仮面ライダーゴースト 100の眼魂とゴースト運命の瞬間』迷える一作ながら、天空寺タケルというキャラクターの総決算として的確

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劇場版 仮面ライダーゴースト100の眼魂とゴースト運命の瞬間 サウンドトラック

 

平成ライダー恒例の夏の劇場版は、平成二期から番組終盤時期に公開されるスケジュールとなった。そのため、毎年「テレビシリーズで約1年やってきたことの総決算」という性格が付加され、テレビ本編での要素の詰め合わせ、メッセージやテーマがコンパクトにパッケージ化された作品が少なくない。

 

『仮面ライダーゴースト』という作品についてはこのブログでも何度か取り上げてきたが、私は非常に「惜しい」作品であると感じている。やりたいこと・やりたかったこと・伝えたかったことは端々から感じるものの、どうしようもなくテレビ本編での出力(魅せ方)がチグハグな結果となってしまった。

眼魔世界が辿ってきた大いなる闘争の歴史、異世界ディストピアを扱ったSF設定、父の想いを受け継いだタケルが仲間たちの「英雄」として成長していくドラマなど、肝心のテレビ本編ではその魅力を十二分に感じることができなかったが、後の冬映画・Vシネ・小説等でグイグイと惹き付けてくれたことは記憶に新しい。

 

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そんな『仮面ライダーゴースト』の「総決算・番組のパッケージ化」として、『劇場版 仮面ライダーゴースト 100の眼魂とゴースト運命の瞬間』は非常に的確である。

 

『ゴースト』本編は、眼魔世界が辿ってしまったディストピア(肉体と魂を分離させて完全管理する社会構造)そのものが地球に進攻してくる大筋だった訳だが、それに対し、主人公・タケルは「人間として命を燃やし尽くして懸命に生きること」を訴え続けた。眼魔世界が築いた社会構造や思想と対立関係にあるタケル、という図式である。

この明暗の二軸がまず大前提としてあり、双方の世界で育ったマコト、暗から明を学んだアランと、数々の登場人物がその対立構造を浮き彫りにし、最終的に、タケルは眼魔世界の負の歴史を清算する働きをみせる。

 

そんな二軸の対立構造を踏襲する形で、本劇場版では本編の「人間世界 ⇔ 眼魔世界」からもっとパーソナルな部分に踏み込み、「天空寺タケル ⇔ アルゴス」という軸を設定している。

 

劇中、アランの兄であるアルゴスが実質的な初代ゴーストだったこと、タケルと同じ運命を過去に辿ったことが判明する。その結果、誤解とすれ違いを経て、「ゴースト体であることが至上(事実上の不老不死であるから)」という結論に至ったアルゴス。

これに対しタケルは、同じ「15の眼魂を集めるゴースト」という運命を課せられながらも、「命を燃やし尽くす」=「懸命に生きる」という主張を表明する。だからこそ、「みんなと一緒にご飯が食べたい」というゴースト体では不可能な願いを朗らかに叫ぶことができるし、それがタケルの強みとして、多くの英雄を自身に惚れさることができた。

 

「眼魂を集める存在・ゴースト」という対比のビジュアルにもあるように、アルゴスは「IFタケル」である。タケルがもしあのような性格でなかったら、アルゴスのようにその不死の身体を使って悪事に手を染めていたかもしれない。

 

タケルは誰よりも自分自身が「死んでいる」ことを受け入れながら、同時に、「生き返る」ことも誰より強く望んでいる。しかしそこに利己的な想いは薄く、常に誰かのために自己を犠牲にできる優しさが、このキャラクターの最大の魅力だ。自分はもう死んでいるのに、誰かのために頑張れる。

そんな危うい優しさに満ちた存在だからこそ、アカリやマコトをはじめとする仲間たちは彼を全力でサポートするし、時に叱咤もする。同じように偉人たちに鍛えられながら、タケルは人一倍成長していくのだ。

 

この「天空寺タケル」というキャラクターを描くにあたり、本作ではアルゴスという対立する背景や思想を持つ存在を設定し、最後には「タケルの肉体存続の危機」という新たな自己犠牲のヤマを設けている。『ゴースト』の映画、というよりは、天空寺タケルの映画、というバランスだ。

 

しかし、致命的ながら愛くるしいほどに、テレビ本編の「チグハグな出力」が本作でも同じように描かれてしまうため、没入感を欠いてしまった感は否めない。

 

「英雄の村」という設定そのものは良いとして、大規模なロケが敢行されたことは素晴らしいものの、どうにも拭えないチープな印象が仄かな不安をのぞかせる。悪い意味でのコスプレ大会っぽさは綾小路翔がベートーベンとして登場するあたりで臨界点を迎え、主題歌をサビ直前でぶった切って回想シーンが挿入される間の悪さがダメ押しで感情を歪ませてくる。

マコトとカノンの父・深海大悟は、存在感は抜群ながらその背景がどうにも説明不足で(このあたりは小説での補完が驚異的なので未読の方はぜひ)、せっかくのゼロスペクターも活躍シーンが乏しい。スペクターもネクロムもいまいち活躍シーンが少なく、ダーウィン魂のオメガドライブも粒子状に霧散していつの間にか敵が爆発するという微妙にカタルシスを外した演出であった。

 

肝心の「ご飯が食べたい」「タケルの肉体が敵に使われる」といった展開も、それ以前のテレビ本編でタケルが食事を摂らない(摂れない)ことが印象的に描かれたかといったらそうでもないし、タケルの肉体が本編初回で絶命して以降どのような共通認識になっていたのかがよく分からないので(そもそも肉体を別個に保存という概念が明示されていたのか?)、せっかくのメインテーマなのに唐突感が拭えないのが惜しいところである。

だから、ユルセンがいきなり「肉体を取り込んだ敵を倒したらタケルは生き返れないゾ!」と教えてくれるのも、「ちょっと待ってそもそものタケルの肉体保存について順を追って詳しく頼むよ!話はそれからじゃね!?」というリアクションが沸いてしまう。

おっちゃんこと仙人も、相変わらず肝心なシーンに出てきて肝心なことを何も教えてくれないアレっぷりであった。鴻上会長よりタチが悪いぞ・・・。 

 

タケルの覚悟

タケルの覚悟

  • 坂部剛
  • サウンドトラック
  • ¥250
  • provided courtesy of iTunes

 

とはいえ本編同様に劇伴の出来は素晴らしいし、クライマックスのVFX大盛戦闘も平成ライダーシリーズトップクラスのクオリティであった。まだ演出が定まっていないエグゼイドの登場もお馴染みのアクセントだし、何度も「消える消える詐欺」に合いながらもタケルが帰ってくるラストにはやっぱりほっこりさせられる。

 

「大好き!!」とまでは叫べないが、愛を込めて「嫌いじゃない、むしろ好きだ」と言いたくなる。私にとっては、そんな塩梅の一作である。

 

 

(何度でも書きますが、『ゴースト』が好きな人で小説版を未読の人は、絶対に読んだ方が良いです。劇場版に関する理解、受ける印象も、かなり変わるかと。)

 

小説 仮面ライダーゴースト ~未来への記憶~ (講談社キャラクター文庫)

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