ジゴワットレポート

映画とか、特撮とか、その時思ったこととか。

赤ちゃんを泣きやませる方法が何となく分かってきた気がする

まだ1歳に満たない娘ですが、ここ最近、絵本がやたら大好きに。

 

もちろん日本語は分からないし、おそらくお話の展開も全然理解していないのだろうけど、なんでこんなに好きなんでしょうね。不思議。

お気に入りの本を読んであげると、その昔酒豪の上司に飲みに連れていかれて夜中に泥酔して倒れる寸前で顔を白くしながらワナワナ震えていた君のお父さんのように体を痙攣させながら「ぅわっちゃー!!!わっふわっふっチャ〜〜!!!」と奇声を上げて喜んでくれます。

 

その中でも特にお気に入りの絵本は、『だれかしら』という絵本。

 

 

だれかしら (ミセスこどもの本 どうぶつあれあれえほん)

 

だれかしら (ミセスこどもの本 どうぶつあれあれえほん)

だれかしら (ミセスこどもの本 どうぶつあれあれえほん)

 

 

表紙の時点できりんが無限ループを演出しているのが面白いのですが、お話は単純。主人公の男の子が誕生日で、その誕生パーティーに色んな動物さんが訪ねてくる、というもの。

で、「とんとんとん」とノックの音がすると、ドアの小窓の向こうに動物の一部が見える。「あれれ? だれかしら?」と問いかけてページをめくると、「ねこさんだ!」「きりんさんだ!」となる訳。

この、「ドアを開けたら動物が出てくる」という文法が娘はお気に入りらしく、慣れてきた今ではドアが開く前に小窓に見える動物さんを見て興奮の絶頂に差し掛かる。「ぅぅ〜!!!ふっふっふっチャ〜〜!!!」と。

 

でも良く考えたらこれ、かの有名な絵本、『いないいないばああそび』と同じ文法なんだよな、ということに気づく。

 

 

いないいないばああそび (あかちゃんのあそびえほん)

 

 

いないいないばああそび (あかちゃんのあそびえほん)

いないいないばああそび (あかちゃんのあそびえほん)

 

 

「だれだろう?」「◯◯でしたー!」という興味の惹き方は、やはり子供の大好物なのだと思い知る。

 

育児をして学んだのは、泣いている子供を前にして「泣きやませようとする」行為自体が本質的には不正解だということ。

「泣きやませる」から泣きやまなくて、正解は、「興味をそらす」。いかに今「泣き」の原因になっていることから切り替えさせるか。そこがポイントなんだなあ、というのを体感で得た。

まあ、とはいっても、本当に心底お腹が空いてる時とかは、何やったって泣くんですけどね。でも、「泣かないで〜 泣かないで〜」とストレートにあやすより、何か音楽を聴かせたり、目の前でビニールをくしゃくしゃっとやってみせたりして、気分を切り替えさせてから抱っこしてあげると、これが意外とすんなりいったりする。

赤ちゃんにとっての「興味」は、未発達の精神構造においてとても大きなウェイトを占めていることが分かる。

 

だからこそ、「だれかしら?」「きりんさんでしたー!」と展開されるのが大好きなのだろう。これも、連続する「興味の移り変わり」だ。訪れる動物さんたちが律儀に各々個別に来てくれるのがこれほどありがたいとは。

これを応用すれば、例えばちょっと退屈そうな絵本でも、突然歌うように読んでみたり、声質を変えたりすると、目を見開いて注目したりする。世の親御さんたちの苦労が段々と沁みてきた。

 

今日もまた、読み終わった後に「ん〜〜!!ん〜!!」とブチぎれる娘をなだめながら、何度目か分からない『だれかしら』を読む時間が待っている・・・。