ジゴワットレポート

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猿がヒトに堕ち、ヒトも猿に堕ちていく。『猿の惑星:聖戦記(グレート・ウォー)』

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猿の惑星:聖戦記(グレート・ウォー) (吹替版)

 

『猿の惑星』といえば、もはや私の世代感覚では古典SF映画であり、それはもう教科書で「羅生門」を読むような感覚でその昔に鑑賞したので、中々どうにも、愛着 ・・・みたいなものが湧かない作品である。

そういう意味で、『創世記』から始まったプリクエル三部作は、私にとっての「リアルタイム『猿の惑星』」であり、あの古典映画をどこかグッと身近に引き寄せてくれたような、そんな有難みを感じられるシリーズだ。

 

実験の結果生まれた高い知能を持つ猿・シーザーが、人間社会と決別し、猿の一族を率いて人間と対立し、そうしてヒトが滅びゆく惑星で後世に語り継がれる存在になるまでの、そんな三部作。

そのクライマックスであり完結編であるのが、『猿の惑星:聖戦記(グレート・ウォー)』である。

 

www.foxmovies-jp.com

 

物語は前作『新世紀(ライジング)』から2年後で、ますます激化する人間の猿への襲撃シーンから幕を開ける。

今作で面白かったポイントは、「猿がヒト化していき」「ヒトが猿化していく」、という、両種族の行く末がクロスしていく展開だと言えるだろう。

 

時系列的に繋がることになる原典『猿の惑星』では、進化した猿が人間を家畜のように扱っており、そこから逆算した結果であろう「猿インフルによりヒトの知能が極端に低下する」という設定が登場した。

これにより、ヒトはどんどん猿のように人語を操れなくなっていき、思考も麻痺、そうして言動もヒトのそれから逸脱していくのだろう、ということが容易に想像できる。

 

対する猿側は、その多くが当然のように手話を操り、シーザーの英語も前作より流暢で、他にも英語を喋る猿が新たに登場したりする。

ギャグでさらっと流されていたが、「猿が人間の服を着る」シーンも描かれ、ますます「猿がヒト化」していたことは明白である。 

 

・・・といった設定面のクロスは勿論ながら、両陣営の内情にも、「猿がヒト化していき」「ヒトが猿化していく」、という流れが起きていたように思える。

 

※以下、映画本編のネタバレがあります。

 

 

分かりやすいのは猿側で、多くの人が開幕早々目を丸くしたであろう、「猿を狩る人間側に協力している猿がいる」という事実。

 

『創世記』では一枚岩だった猿たちは、『新世紀』でも基本的に一枚岩であった。

コバという人間に強く恨みを持つ存在のみが例外で、彼(猿のことも「彼」でいいのか?)が情報を上手く操作して猿陣営を扇動したのが、前作のクライマックスとして記憶に新しい。

基本的に、猿たちは「対人間」というスタンスにおいて、大きく違うことはない。

それは、スタンスやアプローチの違いはあれど、シーザーも例外ではなかった。(人間の前で宣戦布告するシーンが印象的である)

そんな猿陣営も、今作『聖戦記』では大きく入り乱れる。人間に屈して縋る者が続出し、その裏切りがシーザーの妻子に悲劇をもたらしてしまう。

そういった、悪い意味で「人間らしい」群像劇が、猿側に描かれてしまった。

 

対するヒト陣営は、これが驚く程に多様性に欠ける。

前二作は必ずと言っていいほど「猿と平和的な解決を図りたい人間」「シーザーに理解を示す人間」「猿たちを畜生として扱う下劣人間」「猿たちをどうにか駆逐したい人間」などのパターンが出てきて、それに猿側が翻弄される筋書きであった。

それがどうだろう、今作は面白いほどに「猿は人間様以下!」という奴らしか出てこない。(あの射手の彼すら最後までそうだとは・・・)

 

多様化し、人間のように入り乱れる猿たち。

画一化し、理解を示さず黙々と猿を奴隷化していくヒトたち。

 

これもまた、「猿がヒト化していき」「ヒトが猿化していく」、という流れに当てはめることが出来るだろう。

 

特例?として出てくるのが、「猿に理解を示す少女」だ。

 

しかし彼女は、最終的に猿たちと楽園に辿り着くので、もはや実質猿とも言えるだろう。

というより、この時点において、惑星における種族の行く末という大きな流れに則って考えるなら、「猿かヒトか」なんてのは実は些細なことなのかもしれない。

ヒトらしい猿と、猿らしいヒトが交差する世界において、「人間だからどうこう」「猿だから云々」というのは、外面に引っ張られた話でしかない。

どちらがこの惑星の覇権を握るに至るのか。その大局的な視点において、あの少女は猿もヒトも超越している。言うならば、猿でもヒトでもなく、「生き残るに値した動物」だ。

 

つまり、猿やヒトといった種族の境を超えて「生き残るに値した動物」に到達する存在があるとするならば、シーザーがそれに辿り着いたことこそがあのエンディングだと言えるだろう。

シーザーはもちろん猿として生まれ、猿陣営のリーダーとして戦う訳だが、コバの命を救わなかったこと、また、妻子を殺されたことで、人間らしい葛藤をその内で増幅させていく。

そうして、猿からヒトに一旦「堕ちる」訳だが、そこから「赦す」行為を経て、ヒトでも、ましてや猿でもない存在に進化していく。

だからこそ、まるで教祖が天に召されていくかのように、その命を静かに散らせていくのだ。

 

猿とヒトが入り乱れ、もはや両者の境がどこなのか曖昧になった世界で、そのどちらの存在からも超越していく動物。

そんな存在があの少女で示唆され、事実、シーザーがそこに辿りつく。

ひとつの神話として、例えば手塚治虫の『ブッダ』を全巻読み終えたあの感覚のような、そんな「シーザーの一生」を描き切ったという意味では、本当に申し分ない作品だったと思う。

というより、素直に拍手喝采である。

 

また、猿やヒトという種族とは別次元のところで、まるで地球という超自然に何らかの意思があるかのような描かれ方もされている。

 

大佐が「人間の文化が自然に滅ぼされて~」といったことを語るシーンがあったが、クライマックスのあのタイミングで雪崩があったように、地球という惑星が「猿とヒト、どちらが生き残るに値するかな?」という神の視点で何らかの試練を与えているような、そんな印象すら感じてしまった。運命論、とでも言おうか。

また、舞台となった「冬」は、去る氷河期のように種族の淘汰を示唆するものでもあり、猿の毛並みに雪が降り積もる極上のVFXも併せて、抜群のロケーション設定だったなあ、と。

 

反面、残念に感じた点を挙げるならば、「『猿の惑星』に繋がっていく面白さ」の物足りなさだ。

例えばラストカットは傾いていく自由の女神だとか、例えば宇宙からあの宇宙船が地球に向かっていくカットとか、例えばあの洞穴が出てくるとか、そういう「逆算サービス」みたいなものがもうちょっと欲しかったなあ、と。

まあ、シーザーの新たな神話としての独立性を優先するジャッジだったのかもしれない。

 

・・・といった感想もあるものの、概ね観たいものが観れたので、大満足である。

我らがシーザーの有終の美として、貫録すら感じるエンディングだった。

ありがとう、シーザー。安らかに眠ってくれ。

 

 

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